くすぶり 3

 と、いうわけでだ。
「聞いたわよ」
 やや久々に冒険者ギルドにやって来たメディック・マドカは、現れるなり『お誕生日席』のブレロに詰め寄った。女性に詰め寄られると弱いことを把握した、マドカの戦略的詰め寄りである。
 案の定ブレロはちょっと体を引いた。いつも頭一つ上にいる彼が威圧を嫌って距離を稼ごうとするのは、マドカにとってはちょっぴり意地悪い可笑しさがあった。
 ブレロは息を呑み、マドカの背後では空気が不穏に波打つのを感じる。
「まず一つ。エドワルドが来る日、私を呼ばなかったわね」
「ええっ。呼ばなかったんですか? どうして!」
 優しいレリッシュはブレロに非難の目を向けた。が、マドカの態度は芝居だ。『相応に痛い目をみなければならない』ブレロのための、マドカの一芝居だった。
 冒した罪は罰によって贖わなければいけないらしいブレロの思考回路は、マドカにとっては少し奇妙だった。せいぜい神妙な顔して一言くれれば許すことだってやぶさかではないのに、にもかかわらず自ら罰を請う人というのは、愚かにも見える気がする。言いすぎたくらいの喧嘩をそこまで反省しているだなんて、殊勝な人だ。
 まあ、これが本人の希望とあっては、多少不本意な芝居であっても演じてやらなくてはいけない。出演料は、その焦って困った表情でいい。妹分のレリッシュに責められるのもさぞかし堪えているだろう――過ぎた腹立ちを思い出しながら、なるべく目を吊り上げて睨みつけると、筋書きを知らない主演俳優はびくびくしながら頭を下げた。
「……すみませんでした」
「ちゃ〜んと理由を聞かせてちょうだい?」
「あわ……合わせる顔がなかったもので……」
 すべてのきっかけはモモの外着を選びに出かけた日のことである。マドカはブレロとその祖父――紳士的なおじいさまだったわよ。きっと初めて会った日は、気が立っていたのねえ。そうよ、頭をぶったり、足をひねって、痛い思いをしていたのだもの――に、なおざりになった学業についてずいぶん絞られたのであるが、思わず悔し涙を浮かべたマドカに、ブレロが慌ててしまった。
 それからというものブレロは萎縮しているようで、今、ピタリと背筋を伸ばしたまま、目を逸らそうとしている。彼によるとどうやら、女性を泣かせるとはまったくもって罪深い行いなのだ。叱られた犬のような顔をしている。
「ねえ。確認するけど。私、まだ銀の稲穂団の一員よね? 知らないうちに首が飛んでないわよね?」
「ないです」
「次から気をつけてちょうだい。とっても気分が悪かったわ」
「すみませんでした」
 ところが話はまだ終わっていない。マドカが机を爪弾きすると、ブレロはますます拳を固く握った。この件で本当に頭にきているのは、別にブレロのことではない。少しずつかわいそうになってきたので、程々に語気を緩めた。
「二つ目よ。ワールウィンドに変なクエストを押しつけられたわね」
「――どこでそれを」
「モモに聞いたわ。プンスカ怒っていたのよ、『こまってるひとをすっごくまたせるなんてひどい!』って。まったくよねえ。ワールウィンドときたら呆れたものだわ」
 モモはマドカと懇意にしているから、銀の稲穂団に起こったことは何でも素直に話してくれる。お母さんあのねとでも言わんばかりに、その日一日にあったことはもちろん、マドカと会わないうちに起きたあれやこれやを詳らかに打ち明けてくれた。何しろモモにヒールマスタリを仕込んだのはマドカなのだ。モモをサブメディック足らしめたのはマドカなのだから、信頼関係は硬く盤石、山と言えば川であり、ツーと言えばカーであり、プーカと言えば即襲撃。阿吽の呼吸の仲なのだ――かたやブレロは顔を引き攣らせ、『余計なことを』とでも言いたげな目をしているので、マドカはぐっと笑いを噛み殺した。
「それでそのクエスト、いつ行くのかしら」
「……。ワイヨール次第で」
 マドカが靴のかかとの音高く振り向くと、バラバラになった砲剣を囲む男性二人はビクリと飛び上がった。エドワルドとワイヨールである。
 聞くところによると砲剣騎士たちが使う技術の中には、印術にも有効なものがあるのだという。だからエドワルドは自らの砲剣を開いて概要を教授している最中で、楽しく話を聞いていたワイヨールは迷惑そうに、こっちを見るなと言わんばかりの顔をした。そんな彼を極めて優しくじっと見てから、マドカはエドワルドに小首を傾け、筋書き通り口を開いた。
「初めましてエドワルド、ごきげんよう? 私がメディックのマドカよ。自己紹介が遅くなってごめんなさいね。悪気はないの、許してちょうだい」
「ご、ごきげんようマドカ。エドワルドです。砲剣騎士の」
「ええ、話はみ〜んなモモに聞いてるわ。この度は上司の方から、クエストのお薦めをありがとう」
 遠慮なしの皮肉を言うと、エドワルドはぴしゃんと背筋を伸ばしてブレロとおんなじ姿勢になった。まあ。騎士って人たちは本当に愉快ねえ。
「いえッ、ローゲルの不調法で、皆様には大変なご迷惑をおかけし……」
「あらまあ、そう? でも仕方ないわ。あの人ったら、臆面もなく女の子をさらっていっちゃう人ですもの。あなたもとんだ面の皮だわねえ」
「……恐れ入ります……」
 大きな男性にわざわざ居住まいを正されるのは気持ちのよいもので、ましてや気圧されているのが明らかとなると、もう支配的である。何を言っても通用する空気になってきて、マドカは会心の微笑みを浮かべた。
「そのクエスト、モモの代わりに私が行くわ。よろしくお願いするわね。あら? やだあワイヨール、どうしたのカエルみたいな顔をして。うふふ、中等部のときに解剖したウシガエルそっくり。えっ? 何が急なものですか。迷宮に行って帰って疲れた子供をまた迷宮へ引きずり回すだなんて。常識じゃおかしいでしょう。私の単位は来年取れるけど、モモは来年また生まれるわけじゃないわよねえ? ウーファンから預かった大切な子に、ひどいことするわけないわよねえ? ……あら、そ〜お? わかってくれたらいいの。日が決まったらちゃ〜んと教えてちょうだいね? いつでも待ってるから。で、その依頼票はどこ? まあ、ありがとう。貰うわね」
 ワイヨールが懐のポケットからこそりと取り出した紙を、マドカは優雅につまんでひったくった。折り畳まれた紙を開いて中身を確認し、正しいものであることを確認する。ワールウィンドの通り名が片隅に走り書きでサインしてある。このサインが何より重要だ――マドカがうんうん頷いていると、ワイヨールはまだ不思議そうだ。
「……どうか、したの?」
「うふ。タルシスと銀の稲穂団を舐めたらどうなるものか、ちょっとわかってもらわなくっちゃあ?」
「ちょっ、ちょっと待って? マドカ待って!」
 慌てて椅子を蹴立てたのは、本気になったマドカが何をしでかすか、身を以って知るブレロである。が、時すでに遅し。紙はすでにマドカのポケットの中へ消えていた。コートの内側に差し込んだものを、男性たちの誰が取り戻せるわけがあろう。警戒顔のブレロが精一杯マドカを睨みつける。
「一体何をやらかすつもりだ!」
「売るわ」
「……うる?」
 なんてことのない質問に、マドカはすぐに返事した。しかしまだ得心ならないブレロは、マドカの答えを繰り返すに過ぎない。んもう、この人ときたら本当にニブチンねえ。
「もちろん普通には売らないのよ。ねえ、オークションって知っていて?」
 と言ったところまででブレロはワッと頭を抱えた。
「ねっ、名案でしょう!? 好事家にはきっといいお値段がつくわ。だってあのワールウィンドの受注した依頼票ですもの」
 タルシスがいかな辺境といえ、辺境だからこその独自市場がある。タルシスではいくつかの競売会社の中に、骨董品と珍品を得意とする一社が存在するのだ。もちろんマドカには、彼らの出品物の価値はちっともわからない。奇天烈な品をありがたがる不思議な人たちがいて、金額が吊り上がるごとに膨れ上がる熱狂を、面白おかしく眺めているだけだ。
「またカネの力でぶん殴るつもりか!」
「また? またって何ですか」
 ブレロの抗議にレリッシュは慌てるが、マドカはニコニコ黙殺した。もちろんブレロは詳細を明らかにはしないだろう。
「いやね、怖いことばっかり。ひどいわ、ちゃんと考えてるのよ? だって利益は全額、お気の毒な依頼主に差し上げるつもりなんだもの。迷惑料にと思って。文句があって?」
「……ねえねえ。それちょっと、楽しそうじゃない? ローゲル呼んじゃおうよ、そこに」
「んまあ。名案ねえ」
 弱りきった顔が見られるはずだとワイヨールが釣り針にかかって、エドワルドは困った顔でオロオロしている。しめしめとマドカは思った。エリゼによると確か彼は銀の稲穂団で最も年上になるのだという。とはいえ経験と実力の世界で、後発はどうしても不利なのだ。彼のように序列の中でみっちり訓練を受けてきた、犬のような習性を持つ人には! なんてかわいそうなエドワルド、全部ブレロのせいだから悪しからず。
「じゃ、みんなで一緒に行方を見守りに行きましょ? きっと楽しいわよ、オークションハウスって本当に変わった人がいっぱいだもの。もちろん、このクエストは私たちが済ませておかなくちゃね。ねえワイヨール、いつ行けそう?」
「うん、明後日にしよう。超特急で覚えるよ」
 堪りかねたエドワルドが悲鳴を上げたが、ワイヨールは彼を「まあまあ」となだめるだけだった。そしてエドワルドがなだめてほしいのは、絶対にその部分ではない。
「さすがに超特急に付き合えとは言わないよ。大丈夫さ、中を見たらいろいろ想像できてきたもの。つまりこんな機構がやるように、元素を動かしたらいいんだし。面白そうだ」
「いや、そうではなく!」
 ほうら、やっぱり。ワイヨールは時々そういうところがある。もしかしてわざとなのかも知れない、彼は面白がる自分を一切否定するつもりはないのだ。ワイヨールは瞳をきらめかせて微笑んだ。
「あは。そりゃかなり複雑だけどね、たぶん何とかなるよ、私の印術はわりと適当だし。それに現場仕事は、得意なんだよねえ。任せて頂戴、サクサクポイッと終わらせてみせるよ。楽しみだなあ、きっととっても燃費がよくなっちゃうぞ!」
「うふふ、やったわ、素敵! ねえブレロ、『クイックステップ』ってこんなふうに気分いいかしら!」
「……」
 グルグル振り回されたブレロはもう何も言葉もないらしく、うんざりしながら顔を覆った。好きにしてくれ、という言葉とともに。取り残されたレリッシュは、一人まごまごしていたが、恋する乙女の弱点なんか決まっている。
「大丈夫よレリちゃん。素敵な夜になると思うわ。とっても格好いいギノちゃん、見たくなあい?」
「とっても……格好いいギノさん……?」
「そう。あんな人でもしゃんとした衣装を着たら、本当に素敵だと思うわ?」
「ええと、前にブレロが着てたような?」
「ああ、そうねえ。何ならブレロに見立ててもらいましょうねえ」
「――見たい。見たいです!」
 完全なる勝利を収めてマドカはころころと笑った。そうと決まれば、銀の稲穂団の盛装を手伝ってあげなくちゃ!

 それじゃあ、ごきげんよう。マドカは久しぶりに会えたレリッシュを引っ張って、会議室から立ち去っていった。
 ブレロも久しぶりにマドカという嵐を味わってグッタリとしていた。因果応報とはこの事か……ワイヨールが砲剣の黒いネジをもてあそび、エドワルドも物言いたげな目をしている。
「ねえ。何をしてるのさ、きみは。知らなかったよ。学校で来られないんだとばかり思ってたじゃないの」
「いろいろと諸事情があってだな」
「マドカをないがしろにしていい理由なんかあるわけないでしょ」
「いやある! あるんだ俺のプライドにかかる問題が!」
「かかる問題に銀の稲穂団を巻き込むんじゃないよ。きみの個人的な事情じゃないか」
 ワイヨールは容赦なく切り捨てた。くそっお前、さっきまでノリノリで面白がっていたくせに。まったくその通りでぐうの音も出ない。ちくしょう――すると意外にもエドワルドが「まあ、そのへんでいいじゃないか」と苦笑しながら助け舟を出してくれた。ほっとなったブレロだが、しかし台詞には続きがあった。
「本隊が帰ってきたら、どうせ飲みに行くんだろう? 俺にも君のやらかしを問いただす権利はあると思う。そうだよな、ブレロ?」
 その目は一切笑っておらず、助け舟は泥舟だった。ブレロは青くなる。ヤバい俺エドに殺される。眼光鋭く殺される。
「ちょっと待って聞いて! 話すから聞いてくれ!?」
「ああ、今のうちに聞けるならもちろん聞くよ」
 話せるうちにブレロは洗いざらい話した。前途あるマドカと冒険者の自分。少年時代からもつれたままの家庭事情が、銀の稲穂団に至る話。そこでマドカがいかにして我が家に巻き起こったか。やむを得ずモモを一晩預かり、モモを通じて祖父とマドカが意気投合し、ふとマドカの進路の話題になって、祖父ともどもマドカを責めてしまったことなどなど。頑張った。頑張って話した。プライドがズタズタのボロ雑巾になった。泣きそう、俺泣きそう。
「そういうことだから、悪意があったわけでは全然ない!」
「なるほど。君の中に一抹の不安や硬い友情があったことは認めるよ」
「だろう!?」
「しかしそれとこれとは一緒にできない」
 ああっ! 一瞬浮上しかかったブレロは頭を抱えた。エドワルドは恐らく言ったら聞かないタイプの男だ。返事の早さに柔和なようでいて剛直な雰囲気がプンプンする。
「何にせよ、仲間に対してそういう扱いは褒められたものではないな」
「相手がマドカでよかったね。二班に行った後のマドカ、本当頑丈みたいだから……さすがは医師の卵だな」
「なかなか手強そうな女性だな。それはそうと、オークションハウスという所に行ったことがないんだが、ドレスコードがあるのか?」
「マドカの話だとそうみたいね。エドは制服でいいんじゃないかな。あれ、パリッとしててよかったよ。似合ってたね」
「そうか? でも目立つだろうなぁ」
「まあ、目立つだろうねえ。まぁいいんじゃない、友好的にしていなよ。それで、いま佩用できるのは階級章?」
「一応略綬もあるんだ。タルシスだと物々しくなるから外すけどね。そうだブレロ、きっと君も持っていないか?」
 ブレロは力なく頷いた……学生時代に従軍したのが保管してある。おのれ同業者、妙なことにばかり詳しい。何か察して黙っていてくれるなんて生易しい態度は微塵も感じられない。
「それなら仕方ない、ブレロと目立とう! そうだ、自慢じゃないが俺は、待ち合わせ場所として非常に有能なんだよ。日中限定だけどね」
「わはは、夜だってマドカが言ってたじゃないの」
 いいないいねで勝手に話が進んで決まっていた。ブレロは完全に物言わぬ体になっている。