くすぶり 2

 二班女子会はみんな大好きパステルピンク・カフェで速やかに開催された。箔押しのカードを囲みつつ、件のエドワルドがイケメンらしいという話をエリゼがすると、みんなワイワイ喜んだし、銀の稲穂団では少なめな男性が来てくれるのはよいことだ、という向きに話がまとまった。当初男三人、女二人だった銀の稲穂団、現在は女が六人である。何となく寂しく物足りない女子たちであった。色気みたいなものが足りない気がしたのである。
「ローゲルみたいな騎士だったら、きっと強い人ですよ」
「おじさん、くろいよろいでビョーンってとべるの。すごいんだよ」
 木偶ノ文庫での目撃情報をもたらしてくれるのは、女子の括りでカフェに来ているレリッシュとモモだ。せっかくのお茶会に友達が揃わないだなんてとんでもない! みんなでミルフィーユと紅茶を楽しみながら、カフェにはそぐわぬ血生臭い話を始めた。
 銀の稲穂団は何かと都合がつかぬまま、木偶ノ文庫の死闘を振り返る機会もなかったので、ここが最初の情報共有になってしまった。砲剣騎士がどんな技の使い手なのかということから始まって、ローゲルがどんな活躍をしたのか、揺籃の守護者をどう倒したのかといった話題にも至った。周囲の一般女性客は、一目で冒険者には見えない私服の銀の稲穂団女子部をやや遠巻き――元々近いわけではなかったが、関わりたくはなさそうである。仕方がない、一般人は迷宮での死闘はまるで無縁なのだ――に見つめている。
「しょっくどらいぶがねー、よーらんのしゅごしゃにばっこーんってあたったの! おじさん、かっこよかったんだー」
「あれ? モモ。あの人のこと、嫌いじゃなくなったの?」
「うんとね。おじさん、きっと、ほんとはいーひと」
「そうね。きっと、いい人。わたしたちを導いてくれたもの」
 モモはレリッシュに頷いて、ニコニコとミルフィーユを頬張った。はみ出たクリームが口元につき、微笑んでレリッシュがそこを指さす。モモはナフキンでごしごしクリームを拭き取った。
「でもねエリゼ。ローゲルが言っていたんです。ドライブの前は無防備だし、一度放てばしばらく使えないって」
「ふむふむ? とっておきの必殺技ってこと?」
「うん。それに、手順を踏まないと最大効率が得られないとか何とか、ちょっと……ややこしそうでした」
「……ふむむ?」
「あのね、モモきいた! ほーけんはせーみつきかいで、つかいすてかーとりっじをつかってうんよーするんだって。でね、かーとりっじでさいしょにきれあじするどくして、それからちからをためてどらいぶすると、さいだいかりょくがでるの! でもねー、そのあと、れーきゃくしたりすいりょくほかんしたりしないと、じりひんになってつづかないんだってー……だからね、フォートレスがいたら、せんきょーをこんとろーるしやすいから、しすてまてぃっくなほーけんうんよーもらくになるんだよねーって、おじさんおはなししてたの」
「……えっ。えっ? なになに? どういうことかなモモちゃん?」
 八歳の女の子の口から出てくるはずのない単語が大量に出てきて、エリゼは大いに困惑した。助けを求めてレリッシュを見るが、彼女も困って何も言えない。薄々知ってはいたが、どうやらモモの吸収力は八歳の子供のそれを遥かに上回るものらしい……よくよく考えてみればサブメディックとして活躍できる点をとってみても、下手な大人以上だった。
 びっくりしている大人をきょとんと見返したモモは、少し考えてから、理解の怪しいエリゼのために説明を大幅に圧縮してくれた。
「おぜんだてがね、すっごくたいへんなんだって。だからほーけんのそうさするじかん、かせいでほしいの」
「あっ。ははあ、お膳立てね! 時間稼ぎね! そういうことなら私の出番だ! 得意得意、そういうのっ!」
 と調子に乗りつつも、ふと気づいたエリゼは頬に手をやった……ということは、戦力が増えそうでいて、エリゼにとっては守らなければならない人が一人増えるだけのようにも感じられたのだ。眉根を寄せるエリゼを、しかしマドカが覗き込む。
「私は前列が二人になってくれたほうが安心だけどな〜。だって的が増えたら被害は分散されるもの」
「マト……」
「分散……」
 物扱いの発言に二班は少したじろいだ。エリゼだって怪我をしたくてするわけではないのに、的だの何だの言われれば、余計に気分の悪いものだ。が、マドカは引かなかったし、レリッシュとモモは非難の目を向けなかった。
「だってそうじゃない。エリゼの男気はずっとは続かないのよ? フォートレスに倒れられたら、残ったほうはとっても怖いんだから。ハンナもニョッタも、想像したことくらいはあるでしょう?」
 マドカたち三人はもう経験でわかっていた。深手を追ったブレロを手当する間、矢面に立たされるのはギノロット一人きりだ。するとギノロットも余計な手傷を負って、ますます窮地に陥る。だからブレロ一人が手酷い目に遭うよりは、前衛が二人して均等に小傷でも負ってくれればよい。メディックも看られないような負傷をされたら、その日から五人が五人とも、冒険どころの話でなくなる。入院者が二人あっただけで、銀の稲穂団はご存知のとおり、過去の振り返りさえしていない有り様だ。
 武具を使いこなして前衛で戦える人間は、そういう意味でもありがたいのだ、と説いた上で、
「覚えておいて。エリゼが倒れたら当然手当するけど、致命傷になればなるほど、メディックの手には負えなくなるのよ。私たちができるのは応急処置だけ。本当の意味の治療は街でしかできないの。ギノちゃんもワイヨールも運がよかっただけよ。忘れないで」
 と締めくくってマドカはお茶を一口飲む。よいところのお嬢様然とした、優雅なカップの運び方である。それでむしろ、話の内容が際立って殺伐として感じられた。女子が四人で仲良く迷宮の探索を続けるのには、すぐに限界が来るだろう――。
 しかしここで空気など読む気もないのが例によってのハンナであって、彼女はミルフィーユのクレープを一枚ずつ剥がして解体しながら言った。ナイトシーカーの業のせいだろうか、おやつの時間さえ不気味な儀式めいて見える。
「ってコトなら別にいいじゃん。だってエラい人たちも、元々五人推しとかじゃなかった? なっちゃえばいいじゃん五人パに。エリゼもイケメン会いたいっしょ?」
「まあ……イケメンは会いたいけど」
「っしょ? したら会い行こーよ。仲間にしちゃえ。みんなでイケメンかこも?」
「……どうしたの? 何か心配?」
 ハンナのせいだけでなく今ひとつ精彩を欠くエリゼの様子を、ニョッタは見逃さない。エリゼのティーカップが空いたのを見つけ、彼女はカップに二杯目を入れようとしたのだが、
「えっとねえ。イケメンは好きだけど、イケメンと話すのは苦手で……」
 無用な心配だとわかると呆れてポットを元に戻してしまった。隣のレリッシュがくすくす笑う。
「エリゼって、乙女ですね?」
「かわいいところあるのねえ」
「だってドキドキしない? ドキドキしない!? はわわってなっちゃうよ!」
「なんだ、がっかりしたわ。相手は人間よ。話す内容なんてみんな一緒よ」
「そーだそーだ。オッパイの谷間見せてるくせに何言ってんの?」
「それとこれとは違うよお」
 ナフキンをエリゼの胸の間に突っ込むハンナである。ナフキンは胸に挟まれてしっかりと自立し、エリゼはむすっとしながらそれを引っこ抜いてハンナに戻す。すると豊かな胸はプリンみたいにぷるるんと揺れた。レリッシュが憧れの目で揺れをじっと見つめ、ポツリとつぶやく。
「一回触ってみたい……」
「いいよ?」
 真顔で即座に返答されたものなので、レリッシュはややたじろぎながら突っついてみた。しばらく真顔のままでいたが、やがてえへら、と締まりのない笑顔を浮かべる。
「やわらかぁ……」
「エヘン。気持ちいいだろお。私の自慢だぜっ。もっとガシッといけばいいのに?」
「モモもさわるー。ガシッてするー」
 いいも悪いも答える前にモモが鷲掴みし、銀の稲穂団女子部を遠巻きにしていた周囲の女性はますますびっくりしたが、エリゼとしてはなんてことなかった。フニャッとなったモモのほっぺと耳を見たら、オールオッケーである。
「そしてイケメンに見てもらうんですね……」
「フォートレススタイルで行くから見せないよお」
「ええっ。鎧で?」
「違うよ、鎧はオフで……オフしたら目立つ! ぎゃああ、何か着なきゃ」
「隠しても大きいですもんね。いいなー」
「あなたは細身だものねえ。私もだけど」
「レリとマドカはそれでいいんだよ。だってデカいと下品に見えんじゃん? ウチは貧乳党党首だから断固二人を支持する」
「ねえいま私のこと、さりげに下品って言ったよね? 半裸の女がそれを言うかあ〜?」
「んもう。上品な人はこんなところで触らせるわけないでしょ。胸なんて腺と脂肪よ、つまらない言い合いはおよしなさいな。……とにもかくにも、まずは会ってみてから決めなくっちゃ。それで、統治院にお邪魔したらいいの?」
 しっかり者のマドカがとんとん話をまとめていって、エリゼは半分引っ張られるようにして統治院へ出向いたのだった。だって善は急げだ、とみんなに追い立てられたので、渋々と。

 統治院に出張していた帝国の事務官数名は、まるで待ち構えていたかのような流れのよい対応をした。フカフカのソファと立派で渋みのある艶のテーブルに、香り高い紅茶とお茶菓子を差し出され、すっかりもてなされてしまったのである。
 彼らはすでに銀の稲穂団の件を承知しており、数日後、エリゼはエドワルドと直接対面できることになった。わざわざ日付を記したメモも手渡され、エリゼとマドカはあっという間に用事を済ましてしまった。これが帝国流かという驚きの手際のよさに、前向きに話を進めたいエドワルドの意思を垣間見た。
 そんなことなので実際のところ、あまりにもあっけなく話が進んだので、エリゼはふおおと震えつつ、手元の箔押しのカードと、ついてきてくれた目の前のマドカの、上品な笑顔を交互に見た。よかったじゃない、とマドカは喜ぶ。
「て、帝国お得意の生真面目対応なのでは」
「そうなのかしらねえ。私は悪い気はしなかったわよ」
 いつもの調子でおっとりとマドカが話すが、エリゼはペースを合わせることができないでいた。さっきまでオッパイは下品じゃないとか言っていた自分の置かれている状況とは思えない。
「何だか私たちには釣り合わない人をお迎えしようとしているのでは……」
「いやねえ。もっと自信持っていいのよ。向こうがお願いしてきたんだもの」
「だだだって先輩ならまだしも仮免の私など!」
「仮免取れたらすごい〜って、私は思っちゃうけど」
「やややや、マドカの仮免とは比べられないでしょ」
「あら、比べてないわよ。というか、まだ仮免もないのよ、私。あなたと比べるべきものは、特に持ってないわねえ……」
 胸まで押さえてみるマドカである。確かにマドカの胸はエリゼと比べるべくもないほど、控えめな大きさだった。だが一旦胸の大きさは置いておくとして、とにかく落ち着いて、ブレロにはちゃんと報告するように念を押されて、尊敬する先輩の名前を聞いたエリゼははっとなる。
「固い顔していたら、あなたらしくないわよ。笑顔でらっしゃいな。ね?」
 あなたの笑顔、とっても素敵よ。マドカに頭をよしよし撫でられ、撫でられ好きのモモの気持ちがわかったエリゼであった。緊張しかかった頬をぎゅっと引っ張り、嘘でも微笑む。
「よ――よし、わかった。待ってろよイケメン!」
 そうこなくっちゃ。銀の稲穂団の母性とも呼ばれるマドカは、にっこり微笑んだ。

 帰り道、マドカはエリゼの寂しくなる話をした。銀の稲穂団の初期メンバーでもあるマドカだが、冒険自粛を考えているのだという。必修単位の取得に失敗しかかっているのがブレロの知るところになり、彼の怒りを買ったので――まだギノロットとワイヨールが入院していたときの出来事である。
「私、冒険じゃなく医師になりたくて、早く力を試したいっていうのが動機だったでしょう。なのに本末転倒じゃないかって」
 マドカの本分は学生のはずだ。親は知っているのか、と詰問されて、マドカはやっと両親に相談し、同じように叱られたそうだ。
「やっぱりダメだったのね、私。失敗したのよ。これならいっそ、辞めてしまったほうが……」 
 当然エリゼは慌てた。マドカをなだめようとして、その考えはブレロに伝えたのか聞いてみると、
「ううん、まだ。怖いの。会うのが」
 会うということは、答えを出すということでもある。マドカの曇る横顔に、エリゼは納得した。
 あの先輩は表向き軽いが、軽さは一種の仮面だ。紛いなりにも士官の声のかかった叙勲者の顔を知ると、何ゆえ叙勲に至ったのか、籠手が光り続ける理由が理解できる。だからエリゼにとっても、マドカの怖さは想像ができた。ブレロの中にある真なる頑ななものが、彼をフォートレスにさせるのだと。しかし誰しもが彼と同じ道を選び取れるわけではない。突き通せば何が起きるのか、考えるまでもない。
 小さくしょげ返ったマドカがかわいそうで、エリゼは彼女に代わって先輩に話を伝える役を自ら買って出た。先輩の言い分はもちろんわかるが、マドカは仲間の命を守ろうとしてくれる人だ。再び挫折を味わわせるにはいかない。
 マドカの細身の体には、乙女には痛ましい、医師としてもそぐわぬ、魔物に刻まれた無残な傷がいくつも刻まれている。汗を流そうと冒険者ギルドのシャワー室で、マドカの消えない傷を見かけるたび、エリゼはブレロの味わったであろう絶望を追体験する。力なきフォートレスが誰を痛めつけるのかという恐怖を味わう。マドカ本人はけろりとしているが、その傷を誇らしく思っているのは、マドカくらいしかいないだろう――。
 エリゼはさっそく、怖がられている先輩ブレロを、お腹の空いた夕暮れ時にセフリムの宿で捕まえた。ちなみにギノロットはもしかしてと思っていたらそのもしかしてで、印術の本を抱えて眠っていた。サブルンマスを選択してから、彼はやたらめったらよく寝ていて、むしろこのごろは、起きているのをあまり見なかった。
「ギノくん、本当に大丈夫なんですか? ハムスターのほうがまだ起きてますよ」
「平気らしいとは聞いてる。ぼちぼち起きる頃合いだと思うが……起こすか?」
「放っといてください。先輩と話しにきたんで」
 ギノロットを起こしたそうな先輩を無視してそのへんの酒場へ引っ張り出し、安酒で乾杯を交わしてデミソースのかかったチーズと挽肉のオムレツを取り分け、いよいよ問いただすに、リーダー・ブレロはちょっとむくれた。
「痛いところ突いてきたな、お前も」
 スプーンをもてあそび、いじけたふうである。らしくない気がしたのでエリゼは一瞬言葉をなくした。仕方なしに白状するみたいな顔で少し赤ワインで口を湿して、
「どういう埋め合わせをすべきか悩んでるよ、俺は」
「えっ。先輩、後悔してるんですか?」
「だって……言いすぎたんだもん」
 だもんと来た。誰よりも低い声して子供みたいな態度だ。馬鹿な先輩である。言いすぎたまでは自覚があっても、そこから先を受け止めきれないらしい。
「意地張ってないで謝ったらいいじゃないですか。辞めたほうがいいまで言ってるのに、煮え切らないなあ。先輩とマドカの仲なんだから、許してくれますって」
「それじゃちょっと俺の気が済まない」
「……気が済まないぃ? 謝りたくないってことですか」
「逆だ、逆。謝りたいんだよ、勘違いするな。……いやでもきっと、マドカに叱られたのが俺の中で怨念となって渦巻いて反撃の機会を狙っていたんだ、そうに決まってる」
「先輩のバカッ! ハートにリベンジスマイトしてどうするんですか」
「だからどうしようか悩んでるんじゃないか? 俺はスマイ党じゃねえよ、わからんやつだな」
「あのね。開き直ってます? 党員の私がスマイトするけどいーい?」
「……ごめん、怖いからやめてくれ」
 とそこまではフォートレスによくある冗談で、よくよく言い訳を聞いてみると、ちょっと小突くつもりが、思わずどついてしまったと言うのだ。もちろん手を出したわけではない。ただ言い過ぎただけなのだが、あろうことかマドカに涙をこぼさせてしまった(ひどい! エリゼは先輩のオデコをどついた)。それだから平謝りだけでは足りないと主張しているらしい。
 ややもすると言い逃れしそうになるブレロの首根っこをしっかり押さえて、エリゼは言い訳を洗いざらい吐かせた。まったく厄介な先輩だ、そんなだからモテないんですよ、チャッチャと言えっ。明日っから大声で本名呼びますよ。ヤダぁ? 黙れ黙れ、だったら言うことパーッと言うんだよっ。お前はギルドが大事じゃないのかっ。噂で聞いたギルドクラッシャーを連れてきちゃうぞ!
 エリゼがどうにかこうにか言わせたのは、つまるところこうだ。
 マドカは未来の医師だ。マドカの努力も慈愛もよく知っているし、だからこそ彼女は医師の座を掴み取るべきだ。医学の門をくぐるのを許される人間は、決して多くなく、また平時に余り物になる騎士とは違う。ましてタルシスには迷宮の存在があり、いつまでも医師は必要になるだろう。なのに優秀な医師の卵を冒険のために腐らせるなど、そんな話はあったものではない。
 何の因果か、マドカは迷宮を知る医師の卵になった。
 迷宮の危険も挫折も知っている。
 なればこそマドカを医学の道に戻してやりたい。
「……なあんだ。結局マドカが大好きなんじゃないですか、先輩」
 二人の固い絆に何やら胸が熱くなったが、ここに至る間に完全な酔っぱらいになったブレロはしかし、大して顔色を変えなかった。
「俺はメディックのマドカを尊敬してるんだ。命を救われてるからな」
 結局も何も最初から謝りたいと言っているのだから、むしろ真剣な目をされてしまった。しかも相当な尊敬がこもっていると言っていい。若干調子を崩したエリゼは、もう薔薇の花束大作戦とかでいいんじゃないのかなとちらりと思ったりもしたのだが、それをやると妙な方向へ話が転がるだろうからやめておくとしてだ。
「全然優しいじゃないですか。マドカの将来、真剣に考えてあげてて。キツめに当たってゴメン〜って言って、素直に考えを話してみるのはヤなんですか?」
「ますます辞めろと言ってるみたいじゃないか。そうじゃなくてだから何かこう、なるべくマドカに公平な、その……」
「土壌とか雰囲気が欲しい?」
「んもうドジョウでもウナギでも何でもいい、何か……何かもうないか?」
 我が侭なことを言い始める。何かって何よ? それってつまり、お願いマドカ辞めないで僕と一緒にいて、でもちゃんと勉強して、立派なお医者さんになってよぉ! とかいう、
「とにかく都合のいい展開が欲しいっ、欲しすぎるっ――と?」
「……はん?」
「先輩。地獄の沙汰もカネ次第だぜ。きちんと対価払いな。セイ、カモン?」
「……ええ欲しいです、ぶっちゃけ助けて」
「おっほーん、ナンボか足りないなあ? それでそれで?」
「……」
 観念したブレロはテーブルに這いつくばって頼み込む。
「俺の口が過ぎましたあ! エリゼさんの手を貸してください。どうかこの通りお願いします!」
 んもぉう、そこまで言うなら仕方がないなあ〜! 後輩エリゼがまたも伝令役になって進ぜよう。先輩の優しさをちゃーんとマドカに伝えなくては、二人が可哀想なだけではないかあ!
「俺をもてあそんで飲む酒は美味いか」
「ごちそうさまですぅ」
「……いいよ、頼む立場だ、好きなだけ飲め。ちくしょうめ」
 先輩にも不得手なことがあると知って、怖いことはそんなにないのかも、と思うお気楽なエリゼである。しかも人のおごりで飲み食いするだなんて、とっても愉快でいい気分!

 エリゼが二班にやってきてから、マドカと面会するのはとても楽になったらしい。成人女性が会いに来るのに特別な許可は必要ない。面会用のメダルなんて、ワイヨールが家のどこかにしまいこんで長いこと経っているはずだ。どっしりと大柄な寮母に「こんにちは!」と挨拶すると、すっかり顔を覚えてもらったエリゼはごきげんようと微笑みかけられ、マドカを呼びに行ってくれた。
 マドカは足早に現れて応接室へ案内してくれ、ドアを閉めるなりどうしたのと聞いた。どうしたのというか、心中では明らかに沙汰があるものだと不安の入り混じった表情だ。
「先輩がすっごく謝りたそうにしてたから、代わりに言いに来たよ」
「えっ?」
「だから一緒にウナギ料理が食べたいって」
「エリゼ……よくわからない冗談はよして。イライラしそうよ」
「わはは、ごめんごめん。でもね。大事な大切なマドカをギルドから追い出すみたいで嫌だあって悩んでたんだよ、先輩。ただ謝っても吊り合わないから、何かしたいって」
 かといって優秀なマドカをただの冒険者にするわけにはいかない、というリーダーの真意を伝えるにつれ、マドカは信じられない話を聞くように目を丸くしていった。
「それ、本当に彼が言ってたの? 嘘みたいに素直ね」
「先輩ちょっとグチャグチャしてたから、軽〜く締め上げて言わせちゃった」
 舌を出すエリゼに、マドカは腕を組んで大いに溜め息をついた――てっきり少しはホッとしてくれるかと思ったのに、逆に眉を曇らせてしまう。想像通りにならずエリゼはがっかりした。
「どうしたの? 何か不満?」
「だって! まったく人のこと散々に言っておいて、そういうことなの。仕方ないのね」
「あっ。ひょっとして許してくれる?」
「いいえ。そういうことなら、ただでは許してあげられないわ」
 何ですと。エリゼは目を剥いた。マドカは困った顔で何かを企むような目をする。
「あの人。行き詰まったら、勝手にぐるぐる巻きになる人なのね?」
 本当は自力で片づけたい彼は、自力で片づけられない者を見ると嫌になるらしい。それが家族と衝突する自分であったり、羅刹で致命的失敗を冒したギノロットだったりし、今回はたまたまマドカの学業の怠慢が彼の怒りに触れた。
 しかしマドカの思うに、ブレロは怒った自分の姿が衝撃なのだ。何しろ自分で散らかしてしまった――マドカは分析を続ける。
「なのにあなたに相談したのが、運の尽きだわ。けっぴろげにぜ〜んぶ筒抜けになっちゃって……」
 裏表なきエリゼ・フォンクの前に、ブレロの繊細などあってなきもの。事ここでマドカが知ったとあらば、教育的指導的叱責をくれてやるより他にないではないか――とマドカはどことなく哀れそうな目でエリゼを見た。あれ……ひょっとして私、バカにされてる?
「教育的指導的叱責?」
 それに何が何だかよくわからない叱責だった。教育なのか指導なのかわからない叱責に、エリゼは首を傾げる。バカでもいいけど、わからないのは困るのだ。何をするつもりだかエリゼは尋ねた。
「だって。普通のごめんなさいじゃ気が済まないって言うんだもの。本当は土下座くらい謝りたいけど、それだと引退してくれって頼むみたいで嫌、って言うんでしょう? なら、お尻ぺんぺんはできないけど、普通に元に戻る代わりに、ちょっとは怖い目に遭わせてあげないと……」
 むう、と腕組みをして唇を尖らせ、すでに完全にやる気である。――何ということだろう、エリゼはただただ目を剥いた。なぜだかわからないけれど、介入の余地がないではないか! えっ、私、タダ酒飲んで気分よくなっただけ!?