銀の稲穂団と雪との遭遇

 二つ目の封印の先には、極限環境が広がっていた。雪に閉ざされた世界だった。谷間から吹き込む風がいやに冷たく底冷えさせるものだったから、想像はしていたが、まさか一面の銀世界だったとは。本日の舵取りワイヨールは、気球艇の展望窓からの景色に息を飲んだ。もう少しよく確認しようと船を進めようとしたら、
「――すげえ!」
 べいん、という音を立ててブレロが窓に張りついた。
「ずっとどこまでも雪だ! 見ろ、白い!」
 子供のような目で促されてギノロットも窓を覗くが、彼は不思議そうな顔をしている。代わりにマドカがきゃあと声を上げた。
「嘘みたい! 雪、雪が積もってる! すごい!」
「すごいよな!? すごいよな!」
「ちょ、ちょっと降りましょ! ほらあそこなら降りられそう!」
「降りよう! 早く! 降りて!」
「なー、外なんで白いの?」
「雪だからだよ! はーやく! 降ーりろ!」
「ギノちゃん、飛び込めるかしら!?」
「飛び込もう! なあ、飛び込もう!?」
「飛び込み? えっ、どこに?」
 小躍りして喜ぶブレロとマドカ、いまいち理解が怪しいギノロットに、もう見飽きているみたいな態度のレリッシュ。雪に対してどう考えているのか、ワイヨールはじっくり観察できた。
 マドカが見つけた平原に、『天の垂水』号はゆっくりと降り立った。雪目当てのブレロがはしごを担いで真っ先にデッキに飛び出ていって、それを追うギノロットがたじろいで両腕をかばい、たたらを踏んだ。開け放たれたドアからの冷気に吹きつけられたのだ。
「うぇっ、何だこれ! 皮膚が痛てー」
「んもう行かないの? どいてよう!」
 寒さなど物ともしないマドカがギノロットを押しのけてデッキへ消える。ブレロと二人で「ぎんせかーい!」と大歓声を上げるのが船内に聞こえてきた。
「嫌だな、寒いの」
 あくまで渋い顔のレリッシュはぼやく。
「指が冷えちゃう」
 スナイパーの彼女は弓矢の扱いが命だ。手元が狂えば再びとんでもないことになってしまう。
「ゆき、って痛いんだな……」
 驚き顔で景色を眺めるギノロットがごちる。南洋生まれのギノロットは雪というものを知らないのだった。正確には冷気が痛いわけだが。
「ギノさんは鎧が凍って肌に貼りついたら大変ですね」
「えっ、貼りつくの?」
 慌てて両脇を上げるギノロットである。革でできた胴鎧はまだしも、その下は薄い金属の張り合わせだ。
「無理に剥がしたらダメですからね。きっと血が出ますよ」
「じゃ、どーすんの?」
「溶けるまで待つ、かな」
 ところがそこに立ったギノロットの、吐いて白んだ吐息がいつまでも空を漂い続けている。並ならぬ寒さである。
「その寒さで溶けてくれるかは怪しいね。もし遊ばなくてもギノ、金属鎧は脱いだほうがいいよ」
「うへー」
 元は動きを妨げないためにと、肩から指先まで何も着ていないソードマンだ。急いでドアを閉めて二人がかりで手伝ってやると、ギノロットの上半身はノースリーブと指抜き手袋だけの、見ているほうさえ寒く感じる姿になってしまった。鳥肌を立てて寒がるので、一番厚着のワイヨールがローブを貸してやり、ギノロットはすがるように包まった。
「あったけー……」
 脱いでる間に寒くなったと、ギノロットは身震いして扉から遠ざかる。船内もどんどん寒くなっているようだ。
「この寒冷地でどう探索するか、考える日になりそうだな」
 とワイヨールが思案顔で言いかけたところで、デッキのほうから悲鳴が上がった。すわ襲撃かと三人が駆けつけると、愕然とするブレロとオロオロするマドカがそこにいた。
「大変だ、」
 ブレロが悲壮な顔をしていた。
「手がくっついて取れない」
 凍てついた鎧の胸に、右手を貼りつかせた不格好な姿で。遅かった、とワイヨールが溜め息をついた。
「……考えなしだとそうなるわけだな」

 銀の稲穂団は急いで船の中へ引き返した。火の気のない船内は着実に冷えてきており、いずれは外と同じような寒さになってしまうだろう。印術の助けもあって、ブレロの手は少ししてやっと剥がれた。
「ビックリしたあ」
「こんなに寒いだなんて驚きだわ」
「マドカが驚いてたらいざってときにどうしたらいいんだ」
「……予備知識が足りなかったわ。ごめんなさい」
「一番はしゃいでたやつが偉そーにすんなっ」
 ギノロットがぴしゃりと言うと、ブレロは冷たい手をさすりながらプイと目を逸らした。
 ブレロのやらかしはさておき、困った場所であることは明白だ。普通の装備では満足に探索もできかねる。せめて上着が必要なのは言うまでもない。極寒の地が待ち受けているとは誰も予想していなかったので、一日も保たないだろう。そもそも、戦力の一人が半裸では冒険どころでない。
「今日は様子見だけしてとんぼ返りってコースだな」
「雪合戦したかったな」
「雪だるまも作りたかった」
「……懲りないな、きみらは!」
 しゅんと顔を見合わせるマドカとブレロを、ワイヨールは呆れ顔で見た。どんな目に遭おうと彼らにとって雪は憧れであるらしい。
 ワイヨールはううんと腕を組んだ。そこまで言うなら仕方がない。
「きみたちは寒さに慣れたほうがいいかもしれないね」
「それって何したらいいんだ?」
「馴致訓練か? 寒地でビバークするのか?」
「死者が出るから、それは。けどまぁ似たようなものかな。キンキンになるほど遊んでおいでよ。嫌になるほど遊んだら気が済むでしょ。きっと」
「それって!」
「歩き方とかもあるし。ちょっと滑って転んでおいで。怪我しない程度にね」
「やったーあ!」
「行くぞギノ! 遊ぶぞ、馴致しろ!」
「俺はヤダ」
「つまんないこと言わないで遊ぶの! 飛ぶのよ!」
「と……飛び込み……いや、あれホントに飛べんのか?」
「余裕で飛べるから、鎧脱ぎたいから手伝え! ベルト一つ引っ張って!」
「嘘だろ、飛び込めるのか? 本当に飛び込めるのか!? なあ!」
 ブレロとマドカが一瞬さえ惜しいというふうにもどかしく革ベルトを解き、やや抵抗するギノロットをひっ捕まえて、ギャアギャアわめきながら温暖育ちの三人がデッキまで出て行った。
 後には抜け殻のようにブレロの大きな胴鎧がゆらゆら転がっている。レリッシュは達観したような顔で言った。
「寒さを知らないってかわいいですね」
 ワイヨールは笑う。
「あの格好なら十分もしたら嫌になって戻るさ。我々は、しばしの待機」
 手のひらをすり合わせたり足踏みをしたり、転がった鎧を隅に片づけたりしている間、どんなところで生まれ育ったのか二人は話していた。レリッシュは湿り気のある雪の降る竹林の町で、ワイヨールは乾いた雪の降る山間で、それぞれ寒さを乗り越えていたのだった。雪の質が違うことにひとしきり感心した後に、冬の間の食べ物ののこんなものが美味しいとか、雪かきが面倒くさいとか、朝目が覚めたら布団が凍っていただとか、ぬくい火に薪をくべる静かな楽しみだとか、雪の国によくあるいろいろの雑談をして。
 やがて三人が、冷え切った体で船室に戻ってきた。まとった雪をそこらじゅうに撒き散らかして、がくがく震えて、誰も言葉少なである。室内に入る前は雪を払い落とすようにというマナーを教えてから、ワイヨールが感想を聞いてみると、
「これ以上遊んだら死ぬ」
「低体温症が怖い」
「――」
「一応、楽しそうではあったわよ」
 南洋の男に至っては少ないどころか無言であるが、目だけはきらきら輝いて、硬直した全身を使ってウンウン頷いた。頭から爪先まで一際雪まみれのその姿は、明らかに無謀な選択をしたに違いなかった。慎重なふりをして一番遊んだのは彼のようである。マドカとブレロの言葉少なレポートが続く。
「雪の下、氷だったの」
「だから背中から行ってみたんだ」
「死ぬほど冷たかったわ!」
「雪玉、作れなかった」
「固まらないの。サラサラで」
「握っても、小麦粉みたい」
「……ほっぺ固くって、うまくしゃべれない〜」
 マドカが血の気の薄い頬を両手で挟んでグニグニとマッサージする。顔面の筋肉さえ血行不良なのである。ブレロとギノロットも真似をした。三人が積極的に変な顔になって、レリッシュはくすくす微笑んだ。
「……楽しかったけど、アレ、やべーわ。氷って、走れない。つか、歩けない」
 ようやく言葉を取り戻したギノロットは真面目な顔をした。一歩踏み出すごとにツルツル滑って、戦闘などままならないというのだ。前衛二人は困った顔を見合わせた。致命的な事態である。寒地対策を徹底しなければ冒険などできる訳がない。現時点での銀の稲穂団は非常に貧弱である、ということが明らかになった。
「じゃ、新たな地の発見をしたということで、今日はお開きにしましょ。長居してると本当に指の一、二本はもげるかもよ」
 ワイヨールのたわ言に暖地組は震え上がった。元々かなり震えてはいたけれど。
「レリ、舵を頼むよ。私も様子だけは知りたいから、デッキに少し出てみる」
 一緒に行ったら巻き込まれそうだったからさぁ、とつけ加え、ワイヨールは帽子を被り直し、船室を抜け出した。