嚮導者きょうどうしゃの務め

 第一次移住計画の報告書に目を通し終えたバルドゥールは、安堵の溜め息とともに天を仰いだ。報告書には帝国の最も貧しい地に追いやられていた民が無事脱出を果たした顛末てんまつが書かれている。彼らにはひとまずの仮住まいと就労先が確保され、新天地での新たな生活が始まった。
 バルドゥールが気を失っている間に開始された計画とはいえ、そもそも巨人の起動後は、豊穣ほうじょうを取り戻した国土へ移住する予定だった。つまり移住先が領内からタルシスへと入れ替わっただけのこと。気転の利く臣下たちは力なき民にとって何が最良か、正しい決断をしたのだ。
 幸いなことにタルシスは世界樹の迷宮を開拓したことでいくらか景気がよいらしく、移民はそう雇い口にあぶれてはいない。ただ、異文化に触れることがほとんどなかった彼らは、一部で何らかの問題を抱えているという。タルシスの役人たちが渋い顔をしていると耳にした。
 溜め息の出る話だが、ある種やむを得ぬことだとバルドゥールは考えている。タルシスに身を寄せてからようやく理解できたことだが、どうやら帝国の人間はみな硬直している。数百年の長きにわたって他の文明の姿を見ていないのだ。今さら異なる習慣に遭遇したところで、簡単に受け入れられない者もいるだろう。
 ——この僕もそうだ。
 己の失態が再び脳裏をよぎり、髪で隠した額の傷に触れた。あの時、体中の皮膚から突き出したつたは巫女の力で完全に取り払われたが、物々しい傷痕は消えそうにない。あやまちと引き換えに得た教訓だと自らを戒めているが、いずれ豊かなタルシスに慣れれば、凄惨な選択も記憶も、過去のものにできるのだろうか……。
 ともあれ、移民の第一陣には会いに行かねばならない。当初の目的は果たせなかったが、希望をつかむことはできた。疲弊しきった民らを慰め、激励し、前を向いてもらわねばならない。生きてこの風の街からやり直すのだ。
 マルク統治院に間借りした執務室の椅子に埋もれつつもう一度報告書に目を落とすと、反対側で別の書類をめくっていたローゲルが、あれ、と声を上げた。
「殿下、約束のお時間では?」
「約束?」
 バルドゥールは目をしばたたく。緊張感のない締まらぬ笑いを浮かべるローゲルは、バルドゥールの古い記憶にある印象とはどうにも噛み合わない。
「ああ、やはり忘れておいででしたか。十八時十二分から『セフリムの宿』で会食の予定です。辺境伯と」
 反射的に身を起こして柱時計を見れば、時刻はすでに十九時も目前。血の気の引く音が聞こえた気がして、バルドゥールは思わず声をあららげた。
「な……ばかもの、なぜ先に気づかぬ! とうに過ぎているではないか!」
「いや、申し訳ありません、集中してまして。それにこう見えて現場向きなもので、予定とか管理とかはどうにも……やっぱり秘書はマトモな人物を雇ったほうがいいですよ、殿下」
 現場向きはとうに知っている! 人材不足を補おうと急遽きゅうきょ登用したローゲルは、秘書役としてあまり有能ではないらしい。よりにもよって辺境伯との会食を失念するとは……。思い出せばなぜか今日は行く先々で何かしらを振る舞われてばかりで、日が暮れても空腹感が訪れなかったのだ。なんと間の悪いことか。眉間を押さえてみても、ローゲルはまるで反省の色を見せない。
「元気出してくださいよ、セフリムの宿の飯はそりゃあ美味くて評判なんです。辺境伯も御用達ごようたしですからね。自分はまだ積み残しがあるんで、衛士を連れてお出かけください。話はついてます。玄関で待ってるんじゃないかな。ああ、俺も行きたかったなあ……」
 ま、どうぞ楽しんでらしてください。ローゲルはバルドゥールを執務室から追い立てる。少し前まで素晴らしい忠義者だと思っていた騎士が、なぜこうなったのだろう……口の中でぶつぶつ言いながら、バルドゥールは二人の衛士を伴って統治院を出発した。

 統治院からセフリムの宿まではさほど遠くなく、また周辺の治安も良好で、徒歩での移動だった。得物を提げた冒険者らがそぞろ歩くにも関わらず、行き交う者たちは揃って無警戒な顔で歩いている。故国にあっては乗り物での移動を余儀なくしていたバルドゥールは、感心と呆れを相半ばさせた。一方で主を案内するに何度かこの道を歩いた衛士たちは、非計画的にかれたであろう道に対して思いの外慣れた足取りをしている。
 雑踏でさざめく会話の横をすり抜け、夜の闇にも鮮やかに花咲く狭い道を幾度も曲がり、石畳の坂の上り下りを繰り返すと、辺境伯も通うほどなら如何いかばかりかと思いきや、衛士たちが足を止めたのは拍子抜けするほど地味な構えの店だった。道々見たうちから比較しても庶民的な雰囲気しかしない。
 入り口の扉では板彫りの齧歯げっし類が『食堂貸し切り』の札を口にくわえている。向こうから多くの人間の爆笑が聞こえてくるのは、ここを定宿じょうやどにするという冒険者たちであろうか? 貴人の会食場所を人払いもせぬとは……バルドゥールは胡乱に衛士らを見る。
「本当にここか?」
「はい。お気持ちは理解できます。しかし間違いありません、辺境伯が指定なさったセフリムの宿です」
 あまりの気取らなさに衛士たちも驚き、試食に出されたもののいくつかも素朴な見た目で、バルドゥールにふさわしい食事か疑ったそうだがその実、豊かな素材の味が活きて何とも美味であったと、日ごろ無表情なはずの衛士たちは顔を見合わせ、かすかとはいえ目まで細めた。
「ふむ……分かった。ご苦労」
 彼ら二人の珍しい反応で、バルドゥールは意を決した。思い切って扉を開けるとドアベルが鳴り響き、同時に無遠慮な視線が殺到した。四十人以上はいるだろうか。老いも若きも男女の区別なく飲み食いし、そしていずれも精力に満ちて見えるのは、彼らが冒険者であるからだろう。その一人が「おい、今夜は開いてねえぞ」と胴間声どうまごえを張り上げるので、別の誰かがあわてて静止する。
「いや待ってくれ、彼は私の客なのだ! バルドゥール、遅かったな。こんな時間までご苦労だった」
 すまんが先にいただいたよ、ここに来ると腹が減ってな——食堂の一隅いちぐうから響いた声を耳にして、バルドゥールはようやくほっとなった。屈託なき台詞の主、辺境伯は、冒険者に取り囲まれて機嫌よくグラスを掲げている——気づいてみれば存在感のある姿だが、庶民の食堂に来たことなどないバルドゥールには、冒険者と食卓と料理とで雑然とした中から辺境伯を目で探すこともできなかったらしい。
 と、辺境伯が挙げた名を聞いた冒険者たちはどよめく。あのバルドゥール! 帝国の皇子の! 偉大なる赤竜への挑戦者! 竜に一人で立ち向かった向こう見ず! ……着いた途端好き勝手に言われる一方で、帝国出身の砲剣騎士は一斉に直立不動で敬礼し、茶化す者へは鉄拳制裁を加え、またははらはらとした視線を注いでおり(タルシス人に混じっているせいでよく分かる。彼らは帝国の砲剣騎士たちだ。間違いない)……支離滅裂な食堂の様子はさておき、バルドゥールは辺境伯に一礼した。
「とんだ遅刻をして誠に申し訳ない。しかしようやく移民事業が本格稼働できた。これも偉大なる赤竜の討伐を命じた貴公のお陰」
「何よりもそれをやり遂げた君らの手腕のためだな! 固い顔はやめたまえ、このセフリムの宿の食事は実に美味いぞ。女将の料理は絶品なのだ。さあ心配はいらん、遠慮なく食べなさい」
 真面目に礼を述べるとほろ酔いの辺境伯は笑顔で着席を促すので、騎士らがあわてて引いた椅子に掛けると、さっそくバルドゥールの目の前に軽食を差し出す者がある。細切りにした半透明の野菜を削いだ肉で包んで、ピックでまとめたものだ。無愛想な男の冒険者が手にする毒味前の料理に一瞬ためらったが、その一瞬を見抜いたか辺境伯が向かいから手を伸ばしてピックを口に運んで、途端に相好そうごうを崩して頷く——バルドゥールもならってみると、思わず目を見開いてしまった。口の中で牛肉の旨味が広がり、噛めばすぐに繊維がほどける。そしてやや刺激的な野菜の香りが味わいを華やかにするのだ。
「なるほど、確かに。このような食べ物があるのか。何という名か? ローストビーフ? ふむ、なるほど。もう少しいただこう」
 女将の料理を褒められて嬉しい冒険者たちがわあわあ言いながら手を叩いてグラスを打ち鳴らし、頼まれもしないのにまだ料理を勧めるので、色とりどりのメニューがテーブルの上を埋め尽くし、貴人の席とは思えぬ無秩序な宴の様相を呈し始める……戸惑いしきりのバルドゥールも、次第に分かりかけてきた。どうやらこれは会食ではない。一般的な意味での『夕食』だ……正確に伝達しなかったローゲルを頭の隅で恨みつつ様々な品を味わい、冒険者たちに求められては感想を述べていると、つと、トレイを持った女がにこやかに現れる。この宿を切り盛りする女将のようだ。
「いらっしゃいませ、バルドゥール様。お仕事お疲れさまでした。お出まし先でもうお食事なさっているのですよね? 軽食にしましたので、こちらをどうぞ」
 言いながらでたらめに置かれた皿をすいすい整理してバルドゥールの前に薄水色の深皿料理を一つ差し出し、そして辺境伯にも同じくすると、ポットから深皿に金色の液体を注ぎ入れる——それを見てバルドゥールは言葉を失った。名を聞くまでもない、見知った料理だった。
 たった三つの色しか持たない、言ってみれば単純な品だ。温かい湯気の立つ金色の出汁フォンに漬かったライス、その上には薄茶色したペーストが一匙ひとさじ。素材の形を残したペーストからはほんのりと甘酸っぱい香りが立っている。料理から目を離せぬまま、バルドゥールは驚きの声を上げた。
「どうしてこれを!?」
「たくさん苦労なさった殿下に、故郷のお味を召し上がっていただきたくて。皇家にお仕えしていたという方が、教えてくださったのです」
 何のことやらと不思議そうな顔をした辺境伯に向かって、バルドゥールは落ち着きを失いながらも説明した。このフォンライスは帝国の家庭的な食べ物の一つだが、単純ゆえにそれぞれの素材が一級品となったときの美味さは言葉に表し難いものなのだと。……しかし資源が限界を迎えた今となっては塩もアプリコットも入手難となり、アプリコット・ピクルスの担い手は絶え、ましてや生産にも調理にも水を浪費する米などは、姿を消して久しかった。辺境伯はひげを撫でる。
「けれど幸い、どれもタルシスでは手に入りますから。親切な方があちらのレシピをくださったのと、ここにお泊りの帝国の皆さんにご意見をいただいたので、故郷のお味に近くなっていると思いますよ」
 バルドゥールがフォンライスを最後に食べたのは、まだとおにもならぬころのこと。周囲の大人はこぞって褒め称えたが、バルドゥールの幼い舌はアプリコット・ピクルスを受け付けなかった。側近と二人になったときに『あれは好きじゃない』とこぼしたら、『大人になればわかりますよ』と返答されて釈然としなかった、曰くつきの品。成人した今となっては食べることが不可能になったはずの料理。
「まさかここでこんな古い料理に出会おうとは……」
 バルドゥールは思い出を目の前に、匙を手に取ることもしばし忘れていた。現実に舞い戻ったのは、向かいの辺境伯が遠慮なくライスを口に運んで、ううむとうなったからだった。
「フォンに少々魚醤ぎょしょうが入っているのだな! 見た目は確かに質素だが、これは美味。心の安らぐ味がするぞ。まるでこの質素の中に独自の世界があるようだ」
 バルドゥールは追いかけるように食べた。一つ口に入れ、もう二つ口に入れ。魚醤なるものの味か知らないが、注意して噛みしめてみるになるほど、ただの鶏がらとはどこか違う。風味に一段深みがあるが、意識していなければ見逃して、いや味わい逃してしまいそうになる。妙に詩的な辺境伯の評価も納得だ。
「普通のお家の飾らないお料理ですから、お皿を全部かき混ぜて食べてもいいそうですよ。お嫌でないならお試しくださ、」
「待ってくれ辺境伯! 私が先にやる!」
 話の終わりも待たず好奇心旺盛に匙を突き刺した辺境伯を見て、バルドゥールは腰を浮かした。目を丸くする辺境伯の反応につい咳払いし、座り直したが、それはともかく、今度こそ先手を取ったバルドゥールはわざわざ綺麗に整えてあるライスとペーストを大胆に引っ掻き回してフォンに絡め、辺境伯がれる前に大きくすくって口へ放り込んだ。
「……どうかね?」
 一通り味わって飲み込んだのを見て、辺境伯が前のめりに聞いてくる。
「あのときの味だ。いや違う、程よい酸味だ! 美味い!」
 思わず知らず年齢相応の顔になるバルドゥールの向かいで辺境伯は微笑ましく共に食べ、女将も二人の様子に満足しながら見つめた。周囲の冒険者からは大喜びの声が上がる。
「その親切な方に教わったのですが、ピクルスはときどき大人でも苦手でいらっしゃるそうですね。ですから今回のは、蜂蜜と一緒に漬けたのです」
「そうか、素晴らしい限りだ。して女将よ、その者の名を何という」
 十数年の皇家の様子を覚えているなら、彼は粛清を受けなかった忠臣の中の忠臣であるはず。必ず聞いておかねばならない——口元についた米粒に気づかないまま顔を挙げたバルドゥールに、女将はどこか困ったふうに小首を傾げた。
「はい……確か、ローレルさん? といったような。おひげの男性です」
 まるで一切心当たらぬ名にバルドゥールは眉を寄せ、辺境伯は大いにむせた。

 冒険者たちに引き止められて過ごした酒宴が終幕となり、バルドゥールは例のピクルスを入れた紙袋を一つ、辺境伯はマルゲリータへの土産をそれぞれ女将に手渡されて、衛士に守られながら宿を後にした。酔って火照った頬を風に吹かせながら、辺境伯が口を開く。
「いくらか課題があると耳にしたが、移民事業はいかがかね。少し考えてみたが、なかなか難儀であろうな。避難すれば終わりではないのだろう?」
「……辺境伯にもタルシスの領民たちにも、多くの苦労をかけるやもしれぬ」
「なに、私の苦労を気にする必要はない。それは我が身に課せられた使命のうち。領民たちも鷹揚さが取り柄だ。我々辺境人は珍しいもの好き、新しいもの好きだからな。そんなことより女将の仕事はどうだった。君の故郷の味だったかな?」
「ああ、実に懐かしかった。たった一品から多くのことを思い出した」
 まさか異国の料理人に郷愁の味が出せるなどまったく予想もしていなかったバルドゥールは、目を閉じてフォンライスの味わいを思い出す。店の前に立ったばかりにいだいた疑いが嘘のように、今は女将の腕前にすっかり感服していた。
「ふむ……私がいささか心配するのはな。君たちの愛した故郷が我々に浸透し、変化していくだろうことだ。常ならばまた社会の流れと言えるのだが、こと今回の場合は豊かなタルシスに取り込まれると危惧する帝国民もあろう」
「それは……然り」
 もはや辺境伯の目もつくほどの問題であったかと、バルドゥールは内心嘆息した。つい昨日まで困窮こんきゅうし心をすり減らしていた帝国民には、大きな変化を受け入れることなど難しい。帝国の法が通用せぬ異国においてどういった助成が可能かさえ、簡単には答えが出そうにない……バルドゥールがうつむいていると、辺境伯は足を止めて振り向いた。
「一方で私のような権力者にできることは、原型を保存させ、継承させることだ。君に渡されたのようにな。中を見てみたかね」
「?」
 辺境伯の意味ありげな視線を追いかけたバルドゥールは、衛士に預けた紙袋を改めた。中身は別れしなに女将の言ったとおり、アプリコット・ピクルスがぎっしり詰まった二つの瓶だが、手に取ってみてみれば首にそれぞれ『タルシス風』と『帝国式』のタグがくくられている。
「これは、」
「私が仕える王の都の食事はタルシスとは一切が異なる味でな。美味いことは美味いのだが、一週間や十日続くとなぜか耐え難いのだ……! となると五年、十年、二十年、悪くするとそれ以上待たされる君たちの苦労は察するに余りある!」
 まくし立てる辺境伯に、バルドゥールはつい口を閉じていた。閉塞した土地をからがら脱出した身からすれば、食べられるだけありがたかったからだ。しかし続きは、バルドゥールの予想とは少々違った。
「君たちが封じられた巨人を使おうとしたのは、国に生きて住まう者らへの愛のためだろう? だがそれを打ち砕き、故郷を捨てさせたのは、誰あろうこの私だ。ならばせめて来るべき日まで、故郷を彩ったものまで守り継がなくては、あまりに無体ではないかね。
 私は領民もウロビトもイクサビトも守りたいが、君たちから故郷を奪いたくもない。私が守れるものはアプリコット・ピクルスの他にも山のようにあるはずだ。さあ、ますます忙しくなるぞバルドゥール。さっそく明日から君たちの愛する故郷を、もっと教えてくれたまえ」
 バルドゥールの胸に様々な記憶が去来した。遠くに見える寂寞せきばくとした灰と茶の風景。乾いた土埃で常に汚れた窓。弾き手をなくして久しい楽器と、荒れた風の音ばかり響く王宮の高天井、装飾の売り払われた室内。
 薄暗く何もない宝物庫に唯一残された、古い絵画の、翠緑すいりょく萌ゆる豊かな国土と晴れやかな民草。
 欲しかった。
 すべてを救いたかった。
 長いことずっと。
 そして明日からは何の心配もないと、手を取り合ってともに喜ぶ日を待ち望んでいた。
 タルシスの宵に吹く涼しい風は、昼間と比べて幾分か柔らかく優しい。花と緑が一層香り、人々の上機嫌を乗せて路地を通り抜ける。バルドゥールが最敬礼を執って身を一歩引くと、硬質な靴の音が路地に鳴り響いた。
「……貴公の憐情れんじょう、誠に痛み入る。この帝国の長子バルドゥール、皇帝とすべての帝国民に成り代わって、深く御礼を申し上げる——」
「ははは、まったくよさないか! 頭を上げなさい。元はと言えばタルシスが冒険者で賑わっているのは、君の忠義なる騎士のお陰だ。いいかね、かのローゲル、彼のことはくれぐれも大切にするのだぞ」
 辺境伯が指先で弾いたタグの文字はよく見れば、まさしくあの大騎士の字ではないか。いつの間に——胸打たれたバルドゥールは、二つの小さな瓶を抱きしめてただ頭を下げるしかできない。
 タルシスの宵の風は柔らかい。花と緑の匂いの風が人々の上機嫌を乗せて、優しく吹き寄せた。