ギノロットと羽根の妖剣

 新しく頼んだ突剣がやっと完成する日、ギノロットが期待しながらベルンド工房に顔を出すと、看板娘は金髪をおもちゃみたいに跳ねさせて「あー!」と飛び上がった。
「銀の稲穂団! やっと来たー!」
「よー。俺の突剣どーなった?」
 普段どおりに新たな武器を受け取るだけのつもりでやって来たギノロットは、いぶかしく眉をひそめた。看板娘は挨拶もしないで慌てふためいて、一人であわあわ言っているのだ。
「何だ、ただごとじゃねーな」
「もうホント、全然ただごとじゃないんだから! 来て来てっ、早く! こっち!」
 手首をつかまれてぐいぐいと案内されるのは、店の奥にある刀架とうかだ。どの刀剣も丁寧に布を巻き、ラベルを結んで立ててある。剣も突剣も刀も一緒くたで冒険者には探しきれないが、看板娘はいつもすぐに注文の品を見つけ出して手渡してくれる。今日もそこに自分のものがあるだろうと覗き込んでいたら、横から服の裾をつままれた。
「違うよ、そっちのそれ!」
 看板娘は刀架よりもう一歩先、作業場に通じる戸口にぽつねんと立てかけられた一振りを指差した。確かに『銀の稲穂団/ギノロット・W』の札がくくられて、あらかじめ頼んだとおりガードヒルトも未装着だ。保護用の麻布越しに見える姿から、いかにも突剣らしいありふれた形状なのが分かる。布に隠された剣をつかむと何の抵抗もなくすっと浮き上がったので、思わず声が出てしまった。
「うお……なんか妙に軽くねーか?」
 見た目の重さと不釣り合いどころか、下手をするとスプーンより軽い。つんのめって転ぶかと思った。これ見せて、とギノロットが言い終わる前に看板娘は「ヒョエー!」と叫びを上げて作業場の向こうへすっ飛んで行った。
「おっ、おや、親方ぁー! 銀の稲穂団が持ち上げた! 軽いとか言ってるう!」
 藪で人間と鉢合わせたキツネそっくりの奇妙な悲鳴に、ギノロットは呆気にとられて立ち尽くした。立ち尽くしたまま、一人でぽかんと口が開いてしまう。まさしくただごとではない。剣を引き取りに来ただけなのに……どたばた足音を立てて戻ってきた看板娘と親方は、興奮で赤い顔をしていた。
「待ってたぞ、お前、銀の稲穂団のえーと……まあいい、今日は仕事しないで待ってたんだ、お前をな」
 相変わらず名前を覚えられていないことに閉口しつつ、そう言われてみれば、いつも聞こえる鍛冶の音がない。ふいごの音も炎の気配もなく、鋼の焼ける匂いも、立ち上る蒸気も煙も鋸を引く音もなかった。しかし人はどこかにいるようで、水を打ったような静かな気配の中に、坦々と刃を磨く少し耳障りな音がする。
 親方はギノロットを上から下までじろじろ見つめ、独特のだみ声で聞いてくる。
「お前それ、持てるんだな? 本当にいいんだな?」
「いーって何が? つーか、軽すぎるから何とかしてほしい」
 答えた途端に工房の奥がざわっとさざなみ立った。
「馬鹿言えっ! それ以上重たくてたまるか!」
「これ、そんな重い?」
「大の男が四人がかりでヒイコラ運んできたんだぞ? 軽いわけがあるか」
 逆に親方の話のほうがおかしく聞こえるが、親方と看板娘はあくまでも真剣な顔をしている。軽いと思って当たり前に握るギノロットにはわけの分からない話だった。
 結びつけられていた紐を引いて包みを解くと、何の変哲もない鋼色の剣身ブレードが姿を現した。できあがったばかりで傷一つない、ついつい見とれるつややかな青いきらめきだ。つぶさに見れば刃区ショルダーが大体親指三本分で始まって、切先ポイントへ進むにつれ一本分まで細くなる。対人用とは明らかに違う、けだもの退治の無骨な容姿だが、これまでにあった奇をてらう剣を思えば初心者向けみたいに味気なくも見え、かといって迷宮の化け物相手ではどこか頼りない気にもなる単純さだ。裸のままのタングが寒々しいほどに。
「お前らのよこしたあの馬鹿に大きい青い羽根な。あれを使ったら、それができたんだ」
 絶界雲上域に棲み着く青い巨鳥、今ではもっぱら『古空の支配者』と呼ばれる魔物を苦労して仕留め、大羽根を工房に託したら、これを持ち込んだのは銀の稲穂団が最初だった。どうやら突剣にできそうだが、初めて扱う素材だからとにかく十日待てと言われて、今日がその十日目だった。
 しかし親方曰く、試作第一号が仕上がっただけで、細かな調整はこれからであるとか。とても未完成の雰囲気はしないが、ともかく突剣を手にした誰もがやりたがるようにギノロットもまたその場で剣をしならせて感覚を確かめようとした。すると二人は戦慄の表情でうわぁだの嘘ぉだの変な声ばかり上げた。
「あれだけ苦労して打ったものを、よくもまあヒョイヒョイと……」
「ヒョイヒョイできなきゃ死んじまうだろ。相手、魔物だぞ」
 手の中で転がして、手首で振り回す。天井に向けて軽く突き出す。突剣特有の空気を切り裂く音が耳に心地いいが、奇怪なほどに軽い。持つものの見た目と実際の重さが違いすぎる。明らかに剣を振っているのにまったく腕に重さが返らないので、ギノロットはだんだん不安になってきた。本当にこれは剣なのか?
「試し斬り、できる?」
 小声で聞くと、看板娘は奥から木っ端入りの箱を持ってきた。頼むと端材をいくつか斬らせてくれるのがここのサービスなのだ。店の表へ三人ぞろぞろ出ていって、柄の代わりに紐を巻きつけて剣を構えると、看板娘の手によって端材がひとつ放り上げられ、ギノロットはいつもの軽い足捌きで狙いを定めて——懐に入った瞬間に踏み出せば切先が端材を貫き、気持ちよく真っ二つに割れて落ちた。
「おおーやるじゃん、正確じゃん! すっごく上手になったよね!」
 看板娘がぱちぱち手を叩き、親方が感心の声を上げる。確かに以前は見物人の失笑を買うほどスカスカ外したのだった。まだ突剣を使い始めたばかりのころの話だ。
「見事に使ってもらえると特別嬉しいもんですねっ、親方! ねえねえ、もう二つくらい投げてみようよ?」
 嬉しそうな看板娘はすかさず次に手をかける……が、おかしい、とギノロットは思った。足元がぐらりと揺れたような気がしたのだ。周囲にまったく変わった様子はない、なのに変だ、変だと見回すほどにぐらぐら揺れるし、まばたきするほど頭を小突かれているような気がする。気がする間に足元へ端材がコトンと落ちた……いつの間にか看板娘が投げた、二つ目の端材が。
「ん、ボウズ次だぞ」
「お? どうかした?」
 どうもこうも、これは知っている。子供のころに散々やられた記憶がある。これは……、いや、でもここ、タルシスだぞ。地面だぞ? 足着いてるぞ?
「……やばいこれ」
「ちょ、何だか顔色悪いよ!?」
 胃の腑から喉を突き上げられたギノロットは思わず突剣を投げ捨て、必死になって口を抑えつけた。だが意思なんかでどうにかなる生易しいものではなかった。全身が泡立って冷や汗が噴き出す。膝が落ちる。何かにすがりたい。昼飯前でよかった。海でもないのになんで? 疑問と現実が混沌となってどっと押し寄せ、ギノロットは混乱のうちに胃液を吐き出した。ここは世界樹をのぞむ風の丘の辺境タルシス。しかしギノロットの脳裏には、時化しけで強烈に揺れる日の船酔いが、ありありと蘇る……。

 騒ぎを聞きつけた職人たちに店の裏庭へ担ぎ込まれても嘔吐えずくのは治まらず、三十分は経ったろうか。ギノロットは木陰で冷たい井戸水を飲んでいたが、それでもまだ内臓が引っ掻き回されている感じがして、もたれかかる木の幹から離れる気が起きない。
「剣振って酔うなんざ聞いたことねえな!」
 親方がげらげら笑うが、ギノロットには笑うどころではない。こんなことではとても戦えない! 一突きごとに吐いていたら話にならない。血の気の引いた顔のまま、職人たちが苦労して引きずってきた剣をにらみつけた。
 酔うのは慣れればなくなるかもしれない。船や馬車なら気長に待てば乗り慣れた。だがこの剣は何回振れば慣れるのだろう? 軽く使っただけでこの有り様だ。十日も楽しみにしていたのに、試作とはいえ手に余る。まるで呪いの剣だ。いっそ諦めて今までの剣を使い続けたほうがいい……困り果てたギノロットは具合の悪さも手伝って、よれよれと弱い声を出した。
「どーしたらいーんだ、その剣」
「私が何とかしてみるわ」
 職人の中で一人、いかにも体力勝負ではない女が手を挙げている。術師の雰囲気を持った年嵩の女で、ついでに周囲にも同じく術師風の男女が揃っている——素材の魔力を武具に転化するベルンド工房の専属術師たちである。なかなか会って話すことはないが、ソードマンがルーンの知識なしに三属性をリンクさせて戦えるのは、彼ら術師が剣の茎に汎用ルーンを印すためだ。
「何だかごめんなさいねぇ。まあ、まだ試作品で未完成なのだし。許してね」
「未完成って、どこが?」
「そりゃあ酔うあたりが、かしらねぇ」
 と、ちょっと目を逸らされる。取り巻く術師たちも思い当たる節があると言わんばかりに気まずそうにしている……ギノロットのぼんやりした頭はかろうじて働く余地を残していたようで、ふと不満の言葉が口を突いて出た。
「さては俺の反応見て決めよーとか思ってた……んだよな?」
 女術師は露骨に明後日を向く。図星かよ!
「……。なら鍛冶代、ちょと負けてくれたら嬉しーんだけど」
 と少々ごねてみた結果、初めて扱った未知の素材なのは確かだというのと、良心の咎めていたらしい職人数名の視線のお陰もあって、何分なんぶか安くしてもらえることになった。ギノロットは、それで当然だなという気がした。いくら馴染みのベルンド工房とはいえ、実験台にされた苦しみの分くらいは何とかしてもらわないと気分が悪い。実際問題、具合も悪い。
 というか、最初に言ってほしかった。

 さて、調子に乗って振り回せば地獄を見るのに、持つだけではちらとも酔わないのがこの剣の不思議なところで、運んで歩く程度はなんら普通と変わりない。ともかく調整を加えるためには術師が仕事を果たさなければならず、ギノロットは問題児を工作室へ移動してやった。持ち上げるだけで大げさに驚かれるのはむず痒いが、きっと彼らにとって大きな石のようなものが、初めてまともな剣として扱われているのだ。これは『完成品』にするなどままならないだろうと、ギノロットは少し納得する。
 きちんと整理整頓された作業台の上に剣を置いてやり、ギノロットと女術師は膝を突き合わせて座った。周囲を職人たちに囲まれながら、術師はメモを片手に、ギノロットにいくつか確認を始める。
「持つのは平気なのね?」
「全然平気」
「むしろ軽い?」
「変なくらい軽い。空気みてー」
「使うと酔うだけ?」
「そー。それもすげー酔う」
「まるで乗り物酔いみたい、って言ってたわね」
「うん、頭グラグラする。や、でもあんたら見てたよな? たぶん最初っから?」
「うーん、何しろこんなの初めてで。困ったわねぇ。ルーンでどうにかなるかしら……」
 彼女は剣を撫で回した。半分独り言だとしても無計画を隠す気が皆無だ。何とかするのがあんたの仕事だろ——ギノロットは黙りこくっていたが、女術師はふと剣を撫でるのをやめて、正面の棚を探り、ガラスの盃と透明の液体で満ちた小瓶を作業台に並べた。静かな手つきで瓶のコルクを開け、薄造りの盃に優しくそそぐと、花の香りでも閉じ込めたかのような不思議な酒精があたりに漂った。目の前で起きたまじないの始まりをギノロットが物珍しく見つめていると、
「ちょっと挨拶してほしいと思ったのよ」
 曰くありげな顔でコルクを差し直し、剣をつついて光らせるので、ギノロットにはすぐピンときた。一年も冒険者をしていたら、彼らのこういう顔はもうよく分かっている。ギノロットは立って盃の酒を少し口に含み、指先を酒に浸してインクの代わりにし、剣の茎へ一つ刻む。呼びかけるためのアンスズのルーンを——それからようやく、口の中の酒を飲み込んだ。
「あらそう、信号アンスズ。手際がいいのね。さすが冒険者、と言っていいのかしら」
「俺サブルンだよ。頑張ってるもん」
「お見逸れしたわ。効けば、だけど」
 その言葉に首筋がひやりとしたが、もう術は始まっている。すでに引き返すことはできない。記したルーンが乾く前に、茎を優しくつかんだ。
 頼む、届いてくれ——目を閉じて開くと、ルーンは行われ、呼吸を開始し、あえかな熱を帯び始めた。ここまでは当たり前だ。子供でもできる……思わず吐息が漏れた。再び柄代わりの紐を茎に巻きつけた。先程より幾分か丁重に。
 空に向けて剣を振る。手の中で転がして、手首で振り回す。軽く突き出す。宙を切先で払う。けれどまだ――これじゃさっきと同じだ。何も変わらない。
 お前は魔剣だ。これくらい朝飯前なのは分かっている。これだけだなんてつまらない。せっかく自分で選んだルーンを刻んだ。本当は惜しみなく聞きたい。もっときちんと話をしたい。
 すると、手のひらに何かかすかな感覚が返ってくる。聞いたことのない声を感じる。何と言っているのかはっきりと聞き取れないが、猛禽の甲高く硬質な叫びめいていて、何かを要求されているような……分かった、俺とお前にできることを何でもしよう。けれどその前に、お前のことを何も知らない俺に、もう少し教えてくれ。
 ギノロットは始まりを告げるカノを宙へ印した。俺たちは始めなくちゃならない。
 印を知った剣は軽やかに羽ばたいた。ギノロットの指先が求める操作に応えてしなやかに切先を揺らがせ、風に吹かれた葉先みたいに柔軟に動いた。……ならばそのコルクを少し切り取ってみせてくれ、熱いバターナイフで撫でるように——剣は酒瓶に音も立てさせぬままコルクのかけらを奪い去り、見守る誰かの額にぽんと当てた。自慢気に刃先エッジが光ってフラーを青く輝かせるので、ギノロットは剣のいたずらに苦笑した。続いて剣は自分を包んでいた麻布に向かって飛ぼうとした。解き放ってやるとよほど嫌っていたのだろう、麻布は千々に切り裂かれてしまった。
 ギノロットは見違えるような変化に目を見張った。なめらかに軽く宙を裂いて、羽根が落ちるように地へ足が着く。頬が上気するのが分かる。心臓がどくどく弾む。踊るみたいだ、まるでお前の導きエイワズのような——エイワズと刻むと魔剣は再び一鳴きした。あくまでも身軽な剣がはやって先へ行こうとするので腕がさらわれ、追いつこうとして足が出た。柄がなくて手に茎の角が立つのが惜しい。なあ、紐なんかよりずっといい柄がある。俺の手に馴染んでいるから、必ず快適にお前を使える。それから親指に掛金フックが欲しい、お前は少し斬れすぎるんだ。しっかり握りしめたら必ずうまくやれるから。指環リングは指がひしゃげそうだ、これでは置いていかれてしまう。
 切先がぐるりと半円を描いて術師たちの鼻先をかすめ、驚かせ、たたらを踏ませた。人間相手に危険な身のこなしを見て、ギノロットは剣を強く引き寄せた。なんていたずら者だ、それはいけない。お前の相手は人間でなく魔物、有象無象が目を光らせる迷宮だ。知恵より他に能のないか弱い生き物はお呼びじゃない——落とした肘で柔く受け止めると、鼻で鳴くような一声とともに、剣がギノロットの手の中へと滑り込んだ! ギノロットは思わず歓喜の声を上げた。ああようこそ、新しい相棒。つたなくてもルーンが通じてよかった。話せるやつでよかった。お前と一緒ならきっとどんな迷宮だって出かけられる! ギノロットは相好を崩して悠々と伴侶を閃かせた。新たなる旅の道連れにウンジョー感謝ゲーボを!
 ——男と妖刀の演舞は閉じた。
「あいよ。見物料はいらねーぜ」
 ギノロットはすっかり満足し、剣を置いた。手を離そうとすると剣は不満げに剣身を鳴らしたが、大丈夫、次からは嫌というほど何でも斬らせるから、と指先でなだめてやると、ひとまず静かに横たわってくれた。
「でも……やっぱ軽すぎる。突いた感じも切った感じもしない。それは困る。こいつは羽根じゃなくて剣だもん」
 何とかなんだよな? ギノロットがしたり顔で尋ねると、術師たちはとても断りきれずにお互いを見合わせ、追加の加工を施すことが決まった。納期は延期になるからと、迷惑料に加えて日数分の遅延金を受け取れることになり、ちょっぴり得した気分になった。
「あ。待って、坊や」
 去りかけたギノロットを女術師が呼び止める。
「この剣につけたい名前はある? 勝手に決めていいのなら、そうするけれど」
 ギノロットは振り向いて、腕を組んで考えてみたが、突然言われてもそうそうすぐには浮かんでこない。だが知らない人間に名前をつけられたら、あの剣は怒り出すだろう……困り果てて、どうにか答えた。
「……アンスズの音で始めて」
 後日、妖剣に全幅の信頼を寄せた彼が、試しもせずに直接迷宮に乗り込んだことは言うまでもない。屠竜聖刃アスカロンの名を冠した魔剣で迷宮を駆る、少しく気の早い男、それがギノロット・ウィルドという男だった。