とまどい

「あら、そう、誕生日だったの」
 開口一番、セリスの言葉はそれだった。ロックの誕生日が数日過ぎて、ようやく『過ぎた』と知ったセリスは、さほど悪びれもせずにそうだったの、と言った。
「言ってくれればよかったのに。何かお祝いしたのよ」
 ブラックジャックに据えられた、ふかふかと座り心地のいい趣味のいいソファ。後ろには窓があって、晴れた日はついついうたた寝してしまうような素敵なところ。両足を長く伸ばして陣取るロックの、その隣にセリスがちょんと腰掛けた。
「いいさ別に、何か貰って喜ぶような歳でもないし」
 とは言うものの、言葉とは裏腹に心の中で、ロックはしょんぼりとしょぼくれていた。もう少し悪かったって顔をしてくれてもいいんじゃないか? 本当はそう思っている。セリスからなら、何を貰っても嬉しかっただろう。きっと突拍子もない、思いもよらないものをくれたに違いない。何しろ彼女は温室育ちだ。戦闘ならいざ知らず、日常生活で常識に沿った行動をしてくれたのはそうそう、ない。もしくは合理性を考えて、冒険向けの装備やら何やらをプレゼントしてくれたかもしれない。——いや、それもどこか常識ずれしている。
「そう? なら、いいんだけど」
 さっぱりとした口調が憎らしい。女の子にさばさば扱われるのがこんなに響くなんて……ロックの心はいよいようつむいてしまう。いっそ気づかないまま放っておいてくれたほうが、きっと気分よく過ごせたはずだ。いや、思い切って祝ってくれと言ったほうがいいのだろうか? 少なくとも傷は浅そうだ。でもそれ、大人げなくないか? ロックは孤独にぐるぐると考える。
「それにしても、いい天気。眠たくなってきちゃうわね」
「そうだな」
 セリスが振り向いて窓の外を覗くので、ロックもそれに付き合う。ブラックジャックは目下、決戦に備えて万全のメンテナンスを決行中である。耳を澄ませば遠くからチューニングの音が聞こえた。だから空は見上げないと分からない。
 見上げると、空に浮く黒い大きな染みのようなものが見える。雲の割には無骨で、ぴくりとも動かない。それどころか見下されているような違和感がある。魔大陸だった。
「——あの大陸で、すべて終わるのかしら。私たちのしてきたことは、あの大陸で決着がつくのよね?」
 声ははっきりと、水を打つように通るが、言葉は頼りなげで弱々しく、心もとなかった。
「私は、少し怖い。あそこにガストラとケフカがいるのだと思うと」
 空を見上げる顎から喉にかけての華奢な線。太陽の光を受けて一層白く輝く皮膚に、青く静脈が浮いている。滑らかな肌の、歳に釣り合わない艶めかしさ。
 セリスの窓の桟にかける指が、かすかに力んでいる。——怯えているんだ、ロックは直感する。育ってきた環境、自分の存在理由だったもの、確実に己の核の一部であるもの。それを自ら屠らねばならないことへの怯えだ。

 なくすことが、怖い。

 突然に胸が痛んだ。それは鈍い痛みだったけれど、ロックは顔をしかめずにはいられない。
「……大丈夫だ」
 言葉は存外搾り出されるように、最後の一滴のようにどこか頼りなげに聞こえた。言っている自分にすらそう聞こえたのだから、セリスにはどう感じられたのかは、なおのこと予想しづらかった。
 誤魔化すように、セリスの肩を横抱きに抱き締める。セリスの喉が驚きでひゅうっと鳴り、胸板に左腕のわずかな抵抗があったが、すぐに掻き消えた。長いまつげに縁取られた青い瞳がすぐそこにあり、戸惑いを含んだ視線が彼に向かって絡められる。
「何もなくならない。何も消えない。終わらない。始まるんだ」
 ロックの右手が、セリスの金色の髪を撫でる。すべすべと手触りがよく、心を穏やかにさせる陽光の温もり。
 やがてふっとセリスの目が和んで、視線が断ち切られた。ロックの肩に額を持たせかけたのだった。
「逆に、貰っちゃったわね——ごめんなさい」

 いいや、それは違うんだ。
 ロックは心の中でつぶやく。
 やっぱり俺の方が、セリスに何かを貰ってるんだ。
 何かは知らない。心和む、ささくれをそっと抑えてくれる、暖かで優しい帰る場所のような何かを、セリスに貰っているんだ。
 謝るべきは、むしろ俺の方なんだ。