アンカー

 お帰りなさい、の声を聞くと、根無し草だった俺でもどうして、心から安心してしまう。ただ、お帰りの言葉と一緒に、お前が笑って振り向いてくれるだけなんだけど。

 夕暮れ時のからすどもの、かぉかぉ鳴いてる朱色の雲を眺めながら、俺はバケツの中をのんきにすいすい泳いでる魚をどうしてくれようか、考えてる。ちょっと山奥まで分け入って(お手の物)、大きなイワナを四匹、釣ってきた。二匹は塩漬けにしてやると勝手にたくらんでいて、後の二匹はセリスに好きにやってもらおう、とか思ってる。
 渡る風は初夏。冒険心がそわそわし始めるいい季節。でも、山の散策でとりあえず我慢。守るって事は、別段戦うってことじゃない。じっと耐えるってことのほうが多いんだって、俺はまともに釣りを覚えてからようやく知った。守るものは、なんだっていい。例えばセリスが今朝何となく言った、「今日はお魚が食べたいわね」なんて気まぐれの一言を、夕方の俺がこうして、ちょっとした幸福に変えてやる程度で。
 幸せなんて、そこらじゅうに沢山転がってた。険しい山の頂を越えなくても、切り裂く風の厳しい谷底をゆかなくても、本当は道端に生えてるつくしんぼうをもいでやるだけで、すぐに見つかる。セリスの手にかかったら、たちまちそれがおひたしになるから。
 平和ボケって一番ばかばかしいと思ってた。男のロマンは危険の中にこそあるんだなんて妙なことを考えてた。だから大怪我負っても平気だったし、無茶だなんて言われたって気にしなかった。それなのに俺ときたらいつの間に平和を求めて戦って、それをもぎ取ったときは最高に嬉しくって、バカみたくガッツポーズなんかしながら、俺はついにやってやったぞ! と思った。

 ——思った。

 春と呼ぶには暖かすぎる。夏というにはちょっと冷える。雑草はまだまだ萌黄色で、ニワトリに例えたらちょっと育ったヒヨコみたいなもんだ。
 ジャガイモ一個ようやく洗えるくらいの浅い小川を渡って、小さな丘を越えて、グネグネの一本道を行くと、そこには小さな集落が見えて、その家のうちの一つでは、俺のお帰りなさいが待っている。洗濯物はもう取り込んだろうか。あいつ、うっかり忘れるんだ。ひょっとしてとっくに夕飯の支度に取り掛かってるかもしれない。うん、確かに帰りは少し遅かった。でも、待ってくれてるって期待してもいいだろ? こんなに愛してる。
 セリスはまだ覚えてるだろうか、スープに浮かぶ干し肉をすくいながら、「魚が食べたい」なんて言ったのを。俺は、日暮れになっても覚えてたよ。お前の一言を聞いてから、ずっと忘れなかった。

 さあ、ただいま。