ファティマ家の人々

「――あれでブレイダブリクを爆撃する気だな!」
 遥か高みにキスレブの最新鋭戦闘機『ゴリアテ』の機影が認められたとき、バルトは凄まじい怒りと戦慄を覚えた――までは良かった。彼なりの正当な義憤であり、よもやそれに無二の友人が乗っているとは想像がつくまい。が、そこはやはりあのバルトである。見事なまでに人の期待を裏切らない。直情型の彼に権力を与えた側近たちをこそ恨むべきであろうか?
「ラトリーン!」
「グングニー……いえ、バルトミサイル、燃料注入中! ハッチ解放からイルミネータ作動まで十五秒でいけます!」
 いいや、訂正を施そう。主のミサイル発射癖に何の不満も感じずノッてしまう部下も部下と言わざるを得なかろう。ユグドラシル2に移って以来、砂漠と違って比較的平和な海上には『カモ』が存在せず、暇を持て余していたのがラトリーンなのである。実は派手に仕事をしたくて仕方なかった。頼まれもしないのにシステムへバルトミサイルに燃料注入を指示し、コンソールに弾き出された発射予想時刻を読み上げる。目にも留まらぬ速さでコンマ以下が減る予想時刻の緑色を目にして、ラトリーンはもはや麻薬的な快感すら覚え始めている。
「バンス!」
「表層風波サウンドとデカブツの機関音以外、な~も聞こえません。怪しい電波、空電ノイズ程度。脅威度希少!」
 バンスはバンスで、彼はサボタージュの虜である。出力スイッチをせわしなく切り替えてきちんとやっているように見えても、彼はサウンドコレクションの充実に余念がないので、実は周囲の状況などまるで把握していない。バルトの叫び声に反応して、流れに乗せられながらただすべき報告をしているだけであった。報告さえ間違いなく行い、ほとぼりが冷めればまたうっとりとするようなコレクションに、収集すべきサウンドを探す作業に戻れるのであるからして。もちろん、何があろうと即座に対応できる巧妙さを彼は身につけている。バンスは見かけによらずかなり狡猾である。自分中心度ならバルトにも引けを取るまい。
「ようっし! バトコンレベル1発令!」
 要するにバルトの引き起こす騒動は、乗組員の「いい加減さ」が要因となっていると言ってもおよそ間違いはない。
 通信手マルセイユは険しい顔をしてコンソールからホームポジションを保っているものの、
「どうせ若のことだから、相手に投降呼びかけるなんて気の利いた真似はしないよなぁ。だって若だし」
 などと主にいささか失礼な潔い諦観を持っていた。しかしもちろんこの諦観は経験則によるものであって、今や揺るがしがたい判断である。従ってゴリアテに向けての通信回線は開けてすらいなかった。向こうから開放要求があって、バルトから命令されればまた別の話であるが。
 マルセイユが活躍するのは主にアジトとの通信時であった。が、バトコンレベル1発令の状況緊急通信を境に警戒態勢に入ったため、ユグドラシル2外部からの入力はないと思ってよい。今は続々とゴリアテの解析データがアジトに送られているだけだ。それにゴリアテ側にしても、まさか潜砂海賊ユグドラシルが海上を進んでいるとは思いもよるまい。乗組員であるマルセイユ自身も驚いているのだから。
 航海長バナナに至っては、このようなミサイル発射体制になってしまえばすることがなくなってしまう。何しろ彼は航海地図の作成が担当なのだから、最悪、撤退という事態に出くわさない限り暇である。ただ戦々恐々と(そして若干の興奮を覚えながら)じっと流れを見守るだけだ。
「わ、若! 何事でございますか? い、今の警報は……」
「若! またですか!」
 どたどたとメイソンとシグルドがやって来た。マルセイユが心の隅で遅いよあんた方、と溜め息をついたが、もちろん誰に気づかれるわけでもない。肝心の側近、ブレーンと呼ばれるべき二大巨頭が混乱の最中にある限り、場の勢いを止められる者はもはや誰一人として存在しない。
「全艦戦闘配置! 浮上航行! ベント弁閉鎖! メーンタンクブロウ! 浮上と同時に対空戦闘に入る!」
 バルトはそ知らぬ顔で次々と命令を繰り出していく。此方ではバナナが手の中のペンを弄びながら、懲りねぇな若様はと一人背を向けほくそ笑み、彼方ではバンスが右耳でゴリアテを警戒しつつ、左耳でゴキゲンなサウンド発掘に注意を払っている。
「……懲りないお方だ……」
「わ、若! グングニルミサイルは、乗組員半数以上の承認なしには……」
「表層打撃戦区! 対空銃座をスタンバっとけ!」
 ほとほと呆れた様子のシグルドと、慌てて取り繕おうとするメイソンであるが、もちろん後の祭りであることはバンス以外の全員が了解していた。体にかかる艦首浮上の加重が揺るがしがたくそれを物語っている。
「ラトリーン!」
 ラトリーンは満を持した発射の予感に鼻息を荒くした。が、主の放った次の言葉が彼を不幸のどん底に叩き込む。
「――バルトミサイルのトリガーをこっちに渡せ!」
 そう、よくよく考えれば、『オモチャ』を弄りたがっていたのは他の誰でもない、潜砂海賊ユグドラシル艦長、バルトロメイ・ファティマその人なのである。
 職務と主に忠実な彼の指先は別の生き物のように命令に従いながらも、ラトリーン自身は絶望の深い淵を覗いたような気がしていた。一生分の楽しみという楽しみを奪われたような、子供の頃大切にしていた輸送船のオモチャをドブに転げ落とした甘酸っぱい記憶のような、もう何が何だか分からない記憶と黒い感情の奔流に翻弄されているその隙に、バルトは見事ミサイルをゴリアテに被弾させたのであるが、ラトリーンはその瞬間をちらとも覚えていない。
 ようよう気がつけば、スクリーンには黒煙を上げつつ自由落下を始めたゴリアテが映されており、バルトは喜び勇んで様子を見に甲板へ出て行ったのであった。

 橙色の衣裳の少女がブリッジに入り込んできたのは、ラトリーンがようやく我に返り、泣きべそをかいて鼻をすんすん言わせ始めた頃合である。油圧が空気を圧縮するシュッという音と共に、彼女はのんびりと現われた。彼女はスクリーンに拡大されたゴリアテを発見して、呆れ声を発する。
「あ~あ……」
 耳に触れるのが心地よい声を持つ少女は、言わずと知れた大教母マルグレーテである。私室では警報に驚いていたものの、かなりマイペースなマルーは、ミサイルが発射され警報が解除になった後にようやくやって来たのである。それなのに彼女はさすがと言うべきか、ブリッジを見渡すなり状況を把握したようである。
「若だね」
 先の警報と艦内にすら響いた凄まじい発射音、背中を丸めてうなだれるシグルドにメイソン、見当たらないバルトの姿。そして目の前で海の藻屑と化しつつある飛行機に、こちらの艦員が乗船していると思しき救助用ボート。今のブリッジには、勘のいい者ならば当然にそれと察せられるムードがどんよりと漂っている。
「マルー様……」
 メイソンがしょぼくれた犬のような目つきで彼女を見て、お互いに深く深く溜め息をついた。何を言わずともマルーには分かった。伊達に幼い頃、六年もユグドラシルに乗りっ放していたわけではない。事ある毎に無茶をやらかすバルトを、気にしてもしようがないとさっさと諦めてしまったマルーは、三人集の中でも賢い選択をしたと言える。
 と、そこへ元凶が舞い戻った。
「いや~見事にぶち当たったもんだ! 見たか? たった一発の発射だぜえ? やっぱり凄ぇよなぁ、強ぇよなぁ~さすがは俺様のバルトミサイル!」
 元凶は台風の目であるから、当然に皆々の気苦労など何も思い当たっていない。興奮冷めやらぬバルトは空気を読めないし、読もうともしないのである。
「お帰り若。どうするの、あれ?」
「どうするのって……ゴリアテの乗組員は回収だ。いろいろ聞き出してとっちめてやらにゃあな」
「ふぅん……」
 ただ打ちたかっただけみたいだね、という感想を、マルーは必死で飲み込んだ。回収程度で済ませるなら、わざわざ一撃必殺の武器を使わなくてもいいような気がするが、以前にシグルドがブツブツ言っていたのを小耳に挟んだところによれば、一撃必殺しかできない身の上であるらしい。物騒な集団である。その物騒な集団にニサン正教の大教母マルグレーテ・ファティマが乗艦していると知れたら、一体どんな騒ぎになるのであろうか。
 考えたところで詮無いことにマルーが思いを巡らせたとき、
「――回収班から入電! ゴリアテからシタン先生一行を救出! 同乗していたフェイとエリィさんが南方方向に飛ばされたことが確認されましたっ!」
「……若、じっくりとっちめてあげてね」
 バルトにとってマルセイユの報告が悪魔の怒号に聞こえたことは、当然誰の目にも明らかなことだったが、マルーの冷徹な一撃はますますバルトの首を絞めた。