軋む歯車

 なんでこんなことになっちゃったんだ……ベッドの端に腰を下ろすマルーは歯噛みした。懐かしいはずのファティマ城の尖塔に監禁され、窓からの風景も今は憎々しい。いくら換気しても埃っぽい、指先から干からびそうな空気は、ただいたずらに彼女を苛立たせる。死んだはずの祖母と母が実は今なおファティマ城に囚われているという噂など、そんな都合のいい話があるものかと笑って捨てるつもりだったのに。

 王族によって連綿と統治されてきた砂漠の王国ファティマは、国に代々伝わる秘宝を我が物にせんとした逆臣シャーカーンによって汚され、その栄光を失った。王族たちは想像を絶する執拗な責め苦——打擲や火責め、水責めは当然のこと、あるいは毒蛇のあまた這いずる陰気で不潔な地下牢に荒縄で吊り上げられ、あるいは過剰な薬物投与による自白誘導——に遭いながらも遂に誰一人として秘宝の秘密を漏らさぬまま、蒼い目をした一族は高貴な命を散らした。
 そうして欲に眩んだ逆賊の魔手は、国教ニサン正教の主を司っていたいま一つのファティマ家に及んで、地上から熱砂の英雄血筋は自分を除いて総て絶えた。……と、言われる。マルーの目から見て殺しても死ななかろうと思える従兄のバルトでさえ、世間では幼少の頃に病死したことになっている。従兄は時折それを笑った。
 おそらく祖母たちは、秘宝の在処を逆賊に告げることはなかった。そうでなければ今頃無事で済んじゃいないさ、とバルトは話す。バルトはかの至宝が神の力に匹敵する深紅のギアだと睨んでいた。そんな物があったら今頃イグニス大陸はシャーカーンによる統一国家が支配している——それが彼の推測だった。でなければ権力にがめつい逆賊が、血道を上げてまで秘宝を欲しがる理由が分からない。
 祖母らと生き別れて十年以上になる。別れは唐突だった。ある天気の良い麗らかな朝のこと、朝食を終えたばかりのくちいお腹をさすりながら母の笑顔を見上げたとき。その優しい、今にして思えば永遠に続くと根拠なく信じていた笑顔が、一瞬にして恐怖に凍り付いた様は、昨日起きたことのように思い出せる。絹を引き裂く悲鳴、粉微塵に割れる古い絵皿。蛮行に向かって立ちはだかった者に容赦なく銃声、無造作に投げられた大きな麻袋のような音、そして足元へ静かに押し寄せる、ねっとりと搦め捕られそうな、深紅の——。
 父と母と祖母、他にも数えたくないほど沢山の、親しかった人たち。逢えるものなら逢いたかった。四つの時分に亡くした肉親だった。血の繋がった家族はもう従兄のバルトしかおらず、そのバルトも今やどこか手の届かない、僅かに遠いものを内包しつつあった。思うさま甘えられる存在が欲しかった……そして彼らを救い出す英雄になりたかった。力ある存在であることの証明が欲しくて、単身敵陣に乗り込んだのだ。武器も持たない、特別なエーテルだって使えない、こんな自分が。
 ——ボクのバカヤロウ。みんな魂も削られるくらい心配してるに違いないじゃないか。
 捕らえられてすでに一時間は経った。そろそろシャーカーンが自ら現れて、秘宝の手がかりを聞き出しに来るだろうか? あのツルッパゲジジイ(!)、もしもボクに手出ししようものなら、今度はそのヒゲ、一本残らずむしり取ってやるから——!
 こうなった以上は精一杯のけじめとして、命と引き替えてでも秘宝のことなど口にすまい。例え先達のように無数の毒蛇に噛まれ、ありとあらゆる薬物が蠱惑の幻想を見せようとも。若にはなんとしてもこのアヴェの国を取り戻してほしいから——むろん彼がそんなことを望んでいないのは百も承知、それであっても、彼と彼の国とファティマの血の礎になれるなら、何もかもが本望なのだ。彼がファティマにとって最後の希望であればこそ。