オークション・ハウスへようこそ

 銀の稲穂団の女子たちは影からコソコソ仲間の男性陣を探した。オークションハウス前の広場は見物客でも参加者でも社交の場として賑わっており、銀の稲穂団はそこを集合場所に決めていた。
 目印は高身長のブレロとエドワルドだ。白っぽいのと黒っぽいのとでわかるだろと言って、大雑把な指示をしたにも関わらず、なるほど、女子勢はすぐに彼らを見つけてしまった。ベージュのスーツと帝国の黒い制服が立ち話をしているのは、薄暗い春先の暮れに、はっきりと浮かび上がっていた。
 マドカたちが遠くから彼らを眺めていると、徽章が輝く制服姿のエドワルドが気がついて手を挙げるので、女子勢は一斉にわっと黄色い声を上げた。そんなつもりの一切なかったエドワルドはギクリとなって手指がこわばり、ギノロットが遅れて気がつき、愛想よしのワイヨールが彼女らに微笑みかけると、女たちはとうとう口々に勝手なことを言い始めた。
「ほらあ! 言ったでしょ、ワイヨールが一番イケてるって!」
「ギノさん……素敵」
「私はブレロのお洒落が一番好み。着慣れてるわ」
「ウチもギノさんイイなー」
「で、でしょうハンナ! いいでしょう!? マドカ……マドカ!」
「なあにレリちゃん?」
「やっぱり、ありがとうございます! すごく素敵!」
「うっふふふ、よくってよ」
 マドカが含み笑いすると、それまで慣れない盛装でもじもじしていたレリッシュがフィッシュテール・スカートを翻し、ギノロットの元へ駆け出していく。健康的な脚線美を惜しげもなく晒しながら、ハイヒールでもバランスを崩す事なく走っていった。
「恋する乙女って綺麗ねえ」
 輝くレリッシュをしげしげと見守りながら、マドカは微笑んだ。が、エリゼとハンナが一瞬で台無しにした。
「もう乙女じゃないんじゃないかなあ」
「たまにオンナの顔するよねー」
「ちょっと……品のない話はよしてちょうだい」
 我慢できずにハンナのがら空きの鳩尾に一発食らわせた。たださえハンナは立ち居振る舞いの問われる格好をしているのだ。今夜くらいは猫をかぶっていてもらわなくては恥をかく。
「言ったでしょう、そのドレスがいいなら気をつけてって」
「……ちぇっ。は〜い」
 お腹をさするハンナの漆黒のドレスは奇抜だった。首元を波打つタイで飾り、銀糸の蔦模様で縁取ったビスチェからレースをひらめかせ、胸から腰までは隠すことなく、パニエで膨らむ何重ものシルクのミニスカートからは白く長い足が覗いている。その足先は恐ろしいほど高いかかとのヒールで、足首に引いた太いサテンのリボンが艷やかにきらめいて、風に踊った。ほとんどつま先立ちなのに平然としているのは、ハンナだからこその芸当だ。
「とっても似合ってるんだもの。ただの傾き者だなんてナメられないでよね」
「やっぱウチ、イケてるっしょ」
「すっごく視線集めてる。こっちが恥ずかしくなってきちゃう……」
 腰に手をやり堂々と立つハンナを、ベージュのコクーンドレスを纏うニョッタは横目で見ている。
「ニョッタ本気で地味くね?」
「私は普通でいいの! こんなところで自己アピールするタイプじゃないの!」
「あ、リーダーの隣に立ったら差分目立ちするじゃん? リーダーウケよさそう」
「ブレロにウケても仕方ないでしょ」
「……今この子ヒドいこと言ったよね?」
「今日の先輩、ご機嫌斜めだから程々にね」
 実際ブレロはかなり斜め向きだった。公私混同は絶対に否とする彼は、実家の関わらざるを得なかった今回の騒ぎにむくれている。ギノロットの衣装を支度するのに、ブレロは彼を実家に招かなくてはならなかったからだ。
 マドカの知る限り、フェルナン・ブレロは布問屋の豪商の息子である。なんとオークションハウスに出入りしていても何らおかしくはないお坊っちゃんだ。休日に競馬場で見物などしているかもしれない。だからなのか(制服のエドワルドは別として)今夜の盛装が一番堂に入っているのは彼だった。
 しかも彼は、いろんな不満がありつつも家柄相応の容儀を身に着けており、甘いピンクのドレスですっかり上機嫌のモモを見るや、相好を崩してしゃがみこみ、抱きしめて、着飾る少女を沢山に褒めるのだった。ほんのちょっぴりのお化粧だって見逃さないので、モモはこれ以上にないくらいのニコニコの笑顔でブレロにくっついて甘えている。
 微笑ましいモモとブレロを中心に、銀の稲穂団は集まった。
「全員揃ってるわよね?」
「きみらがいるならみ〜んないるよ」
「なら、おっけい」
「ねえねえエドさん。ワーさん来てるの?」
「ワーさん……ああ、まぁ伝えてはおいたよ。来るかどうかは卿の気分次第かな」
 卿と呼ばれるからには爵位があるのだろうワーさんことワールウィンドことローゲルも、一体どんな装いで現れるのか、銀の稲穂団の女性陣の関心事のひとつだった。招待席から気だるい冒険者スタイルで見物するのか(圧倒的珍獣として周囲に扱われるだろう)、帝国騎士としての威厳と矜持を示す制服姿で座すのか(ずいぶん面の皮が厚い男だと評価されるだろう)、それとも爵位持ちとして個人の顔でいるのか(一番無難で面白みがないが、彼の私服が見られる)。とにかく、どれであっても彼女たちはローゲルの様子を知りたかった。
「立ち話は後にしよう。ここじゃずいぶん寒い」
 モモを抱き上げるブレロが言うので、銀の稲穂団はオークションハウスへ足を踏み入れる。入り口ではさながら、煌天破ノ都が『王の認証』を求めるが如く、招待状を見せなければ入ることはできない。全員しっかりと招待状を確認されて、ロビーまで辿り着いた。

 三十分で飽きて、ギノロットは中座し休憩を求めた。
 ドアボーイ(ドアくらい自分で閉められるのに)に目礼しながら内ポケットに手を入れて、紙巻きを少しだけ入れてあるシガーケースを確かめた。灰皿のある場所を聞いたらバーカウンターを案内されて、ギノロットはのこのこ歩き出した。
 堅苦しい格好と慣れない硬い革靴を履かされて、少しうんざりしていた。棒ネクタイの締め方さえ覚える気のないギノロットからすれば、こんな格好をできるブレロは大したものだ。迷宮の装備と比べれば遥かに軽いが、押し込められているような気がして愉快ではない。喉首が苦しい気がするので、シャツの一番上のボタンをこっそり開いてタイを緩めた。
 オークションは着々と進められていき、マドカの出品物が披露されるまで、まだある。一人でぼんやりするには充分な時間があるし、もし間に合わなかったとしても、銀の稲穂団がローゲルの鼻を明かすのは目に見えている。不義理なことをするからだ、ざまを見るがいい。
 白いシャンデリアのまぶしい広々としたバーに辿り着き、カウンターでクリームを盛ったキャロットジュースと灰皿を求めると、二つ向こうの席にかけていた老人が、パイプを含んでくすくす笑った。何かと思ってそちらを見ると、目が合う。明るい茶色の髪を綺麗に流して揃えた、口元に髭を蓄えた紳士であった。パイプの煙はナッツとオレンジの薫りがする。
「すまんね。案外アンバランスな組み合わせだと思ってな」
「……あんがい?」
 引っかかってきょとんとなったが、微笑みを湛えた答えで納得した。
「君は銀の稲穂団のソードマンだろう? 噂は聞いておるよ」
「ああ――どーも」
 巨神を退けてから誰かしらの口に上っているらしく、赤の他人に知り合いみたいなものの言い方をされるのだ。何度目なのかとギノロットは眉をそびやかす。
「孫が冒険者に詳しくてな。しょっちゅう話をさせとるんだが、胸を踊らされるばっかりで、まあ楽しいといったらない。今日のことも小耳に挟んだものだから、コソコソしながら来てみたのだ。それがまさか、本人と出くわすとは思わなんだ!」
 老紳士の喋り口調に、ギノロットは既視感を感じた。何となく硬いような、ちょっと説教臭いような。でも人好きのする細めた目に、奇妙な雰囲気を覚えながら、紙幣と引き換えにバーテンダーからジュースと丸いガラスの灰皿を受け取った。
 相手が老人だからそんなふうに思うのか、と自分を眺めつつ、ケースから一本くわえてマッチを擦る。
「その後の怪我は何ともないのかね?」
「うん。巫女と仲間が治してくれたから」
 かすかに吸って吐き出すと、白い煙が引かれるように伸びた。煙草の燃える独特の匂いがした。
「ふむ――もしやモモという方陣師の?」
「うん。痕残ったけど、そんだけ。全然平気」
「なら結構だな。あのローゲルに一杯食わせてやるのを、楽しく見られるというわけか」
 くつくつと忍び笑いをする声に、ギノロットは思わずぎょっとなった。やっと分かった! 少しうつむいて喉で笑う仕草がブレロとそっくり同じだ! ぽかんと口が開いて煙草を落っことす所だったが、先に指が間に合った。
 ブレロにバレてはいけない。頭を高速回転させるギノロットは視線を外して向き直り、とっさにそう判断した。多分この祖父とあの孫は別々にここへ来ている、ブレロに知れたらますます機嫌が悪化する。
 だがこの好々爺は盛装を過不足なく着こなして、腰掛ける背筋がぴんと伸びて気持ちがよく、家業を盛り立てたという話がいかにもしっくりくる。骨太そうな体格にも見覚えがあって、ブレロが順当に歳を重ねるとこうなるのだろうなという予感が、自然に脳裏をかすめた。
 どうしたものだろうとギノロットは逡巡し、とりあえずジュースを一口飲んで、口の端についたクリームを舐め取った。この老人は、嫌いではない。
「俺の噂って、どんな?」
「うん? そうだの……」
 本人を目の前にした老人はやや話しにくそうに答えた。例えば、モノノフを辞めてルーンマスターを片手間に始めた話。班をギルドを跨いで金剛獣ノ岩窟の、あるいは深霧ノ幽谷の認証を探した話――ギノロット自身は、言葉を選ぶ老人に、少し意地の悪い愉快さで頷いていた。
「だが、皇子とあの巨神に相対した話はまだ聞いとらんのだ。……忙しいらしくてな」
 現在の銀の稲穂団は特に忙しくない。ギノロットはぱちくりし、少ししてどういう意味だかいくつかの察しがついて、少し笑った。
「ホントはずいぶん助けられたんだ。一回、ルーンマスターの身代わりになって倒れた」
「身代わり? 倒れた?」
「うん。そんで左目、傷が残ったろ。あいつは盾持って踊る役だから、たまにそーなる。ヒヤッとするとこ、俺たちみんなあいつに助けられてる」
「ああ――まただ! その盾と踊るというのが毎度わからんのだ。踊るのか? なぜだ? 一体どんな風に? 聞いてもちっとも要領を得んのだ、あいつめ」
 老人が大げさに嘆息するので、ギノロットはうっかり笑って、何だかブレロらしいと思った。あの男はかなり独特の手を使って迷宮を乗り越えてきて、いざ手の内を明かさせようとすると、途端に口数が減るのだった。
「んと、踊りってゆーか鈴、鈴の音がする。不思議な音を鳴らすんだ。魔法みたいなもんだと思う。それで、全部あいつのものになる。相手がどんな大きくても関係ないんだ。盾が届くところは、あいつが守りきれる」
 モノノフの長、イクサビトのキバガミから双牙武典の書を託されたとき、迷宮とフォートレスと踊りは、銀の稲穂団の誰も想像が追いつかなかった。だから実際にやらせて、ようやく真価を理解したときの驚きは、今もまだ新鮮に思い出せる。まばたきをした瞬間、盾で攻撃をいなすブレロがいた。理屈を越えて鈴鳴る音とともに凶撃を無に帰した。彼の右腕に光る聖なる籠手が尾を引き、足につけた葡萄の房のようなあの鈴が、輝きをなお一層清く変えた。盾は代替わりごとに大きく重たいものになっていき、いつしかギノロットにはとても持てないものになった。あの大盾を持ちながら時にモモを抱えさえするのだから、恐れ入る――ギノロットの語るに任せ、老人はただただ目を見張り、そしてすっかり機嫌よさそうに顔を輝かせている。孫の活躍を喜ばぬ祖父がどこにいよう。
「フォートレスは地味って言うやついるけど。とんでもねーよ。あいつが一番どーかしてる。だってもう今は、ホントに何やってんだか分かんねーから。あの籠手と、鈴と、盾の力、なかったら……俺たち、こんなとこ来れなかった」
 ギノロットはふと、自分の衣装に目を落とした。一介の冒険者に過ぎない自分が、押しも押されもせぬギルドの剣士になるなどと、タルシスの土を踏んだとき、いかに想像しただろう。倹しい旅装の旅人だった去年の春と、高価な衣服で先輩冒険者をからかうオークションハウスの冬。
 指先で一服が尽きそうになっていた。よい頃合いだと思って、煙草の火を消して灰皿とタンブラーをバーテンダーへ差し出した。
「あのさ。あいつのこと、もちょっと優しくしてやってほしいんだ。申し訳ないって、思ってるっぽいから」
「……申し訳ない?」
 耳にした途端、老人は目を見開いた。
「うん。ホントは上手くやりたいって。俺たちも、もちょっとあいつの、もあ……モラ、トリアム? っていうのに付き合うつもりだし」
「モラトリアム……」
「人生の棚上げって。俺も棚上げしてたら、あいつがここへ連れてきてくれたし。レリも迷って、でもあいつに励まされて何とかやって来てた。だから、恩返しじゃないけど、あと六年、一緒にいてやんなきゃ。相棒だから」
 相棒だから――口にした台詞が自分で面映ゆくなって、ギノロットは笑った。
 老人はまだパイプを少し残しているようだったし、一緒に戻って見つかるのも面倒なので、ギノロットは先に席を立つことにした。老人はそれに頷き、ウインクをして彼を送った。緩めたタイを戻すように、と節くれた指で忠告をくれながら。

 廊下をのこのこ引き返していたら、ひらひらした朱色のドレスのヨーカが、誰もいないホールを落ち着かなく行ったり来たり繰り返していた。どこかで見かけた金魚みたいだった。
「ヨーカ」
 呼びかけて立ち止まってみると、
「――ギノロット!」
 すぐにこちらに気がついて、風のようにすっ飛んでくる。黒い尻尾の朱色の妖精は、ギノロットの腕の中にすっぽりと収まった。
「そんな靴でよくコケねーな」
「ちょっとだけグラグラします。……あの、」
「ん?」
「さみしかった」
 ――どーすりゃいーんだ俺は!! ギノロットはただただ努めて呼吸を繰り返し、せめて人間らしく静かに立っていられるように口元を引き結ぶ以外、もう何もできなかった。叫ぶか飛び込むか天井のシャンデリアを睨むかしないと正気を保っていられない。そろそろとヨーカの体を離しがたく離すと、追撃が来た。
「もう一回、腕を掴んでもいいですか」
 心臓を撃たれたかと思った。
 こういった場では『えすこーと』とかいうのを、女性にはしなくてはならないらしい。その足を綺麗に見せるだけの奇妙な踵の靴ではさぞかし歩きにくいだろうと、ギノロットはえすこーとなる奇習を了解していた――とはいえ、
「……っどーぞ」
 がたぴし固くなりながら、肘を突き出すギノロットである。遠慮がちに指を滑らすヨーカは、マドカに借りたのだろう香水の、優しくて少し爽やかな香りがする。全身が火になったように熱くなって、ギノロットはまともに恋人を見られなかった。
「ありがとう」
 消え入りそうな甘い声と、小さな細い指の感覚と、幸せそうな微笑みに、ギノロットはとにかく頷いた。このちいちゃい恋人を、力いっぱい抱きしめてしまいたい。きつく抱きすくめて、苦しいとまたささやかれるくらい。
「……それ、服、すごく、似合ってる」
「本当? 嬉しい」
 ヨーカはぱっと華やぐ笑顔になる。きらきらした琥珀の瞳が一心にギノロットを見つめ、白く透明なかんばせが薔薇色に上気する。
「何にも言ってくれないから。やっぱり変かと思って」
「……みんないて、言えなかった。ごめん。ホントに綺麗だ。このままさらって帰りたい」
 思い切ったギノロットは、だが恋人に鳩尾をぶたれた。
 二人こっそり甘い一瞬を味わいながら、オークションホールへ歩いてゆく。もっと遠くにあればいいのに、どうしてほんの数分なのだろう。

 戻ってきた恋人たちの、美しい妖精でないほうに、嗅ぎ慣れた匂いを嗅いだ気がしたのは、彼が隣に腰掛けたときだった。
「戻ったか」
「おー」
 あまりコールの冴えない競売を横目に声をかけてみたが、ギノロットもレリッシュも変わりないようだ。気を取り直してブレロは座り直す。
「もうすぐだと思うぞ。さっきマドカが呼ばれて行った。しばらくしたら前に立つよ」
 すると、ギノロットは機嫌よさそうににやりと笑った。
「楽しくてたまんねーだろーな、マドカ」
「それがな。さっきから入札の声が渋いんだよなあ。つられて台無しになるかもわからん」
 会場に漂う何となく停滞した雰囲気が、それまでの出品物の面白みに欠ける部分を物語っていた。オークションにかけられる珍奇な品としては及第点でも、欲しいかどうかはまた別の話だ。巻き込まれてつまらない値段で流れていってしまう空気が醸成されつつある。
 やがて銀の稲穂団の番になり、代表者のメディック、マドカ・ユーイングが人目に慣れた風に壇上に現れ、彼女が冒険者であると知らされた観客たちはざわざわとなるが、マドカは関係なく優雅に一礼した。唇が何事か動いたのは「ごきげんよう」であると察せられ、その冒険者とかけ離れた振る舞いに、ブレロは思わず忍び笑いした。
 わざわざ額装されたワールウィンドのクエスト受注書が司会者によって示され、その出品に至る経緯と、売上はオークションハウスの取り分を除いては、依頼主に全額贈与されることが説明される。また既にクエストは銀の稲穂団によって完了済みであるから、あなたがクエストを果たす必要はない、くれぐれもご安心を――司会者が言い添えると、会場からは笑いが上がった。
 競売が始まった。司会の忙しなく軽やかで弾む競り声が人々の興奮を煽って、何の意味もない紙切れを馬鹿げた値段で売り払おうとし、まんまと火のつけられた誰かが入札していく。五〇〇エンで始まった値段は五〇エン刻みでちびちび競り上がっていく。
 が、そのリズムを崩すものがあった。急に入札額の桁を一つ増やした誰かがいて、波紋が起きて入札が鈍り、再び五〇エン分高い入札が来た。しかしそんなケチな札入れを突き放すように、何者かは懲りずに一〇〇エン上乗せした。
 場はざわつき、額装の受注書は今ちょうど一,三五〇エンを超えた。対抗して誰かが一〇〇エン、一五〇エン……とっくに無効な受注書は、どんどんおかしな価値を見出されつつある。
 ブレロはニヤニヤ笑いが止まらなくなってきていた。入札しもしないマドカが楽しいと言うのも当然だ。どこの馬の骨とも知れない冒険者のオッサンの、どうせ片手でヒャラヒャラ通り名を書いただけの紙切れが、異様な値段で買われようとしている。大の大人が相争って、散財するために声を上げているのだ!
 この状況が愉快でないわけがあろうか? ふと見た壇上のマドカは口元を隠しつつも喜色満面で立って――立っていたが、もの言いたげにどこか一点に視線を集中させている。視線を追うと、そこには、飄々と値段を吊り上げているローゲル、いやワールウィンドがいるではないか!
「おい見ろ、あんなところに気の触れたオッサンがいるぞ!」
「ん?」
「あっ……本当! 一階にいます、真ん中に」
「どこ? どのへん?」
「緑色の変わったドレスの人の、左斜め後ろです」
「……うわっ、いた! どう見ても本人!」
 銀の稲穂団が人目もはばからず身を乗り出すと、話はすぐに周囲に知れてあっという間に明らかになる。ポケットにオレンジのチーフを挿した盛装のワールウィンドは一階席にいて、二階の銀の稲穂団に気がつくと、エヘラと笑い、ヒラヒラ手を振ってみせた。その横ですかさず札入れすることも忘れない。今度は二二〇エン釣り上げて、受注書は五,九七〇エンになってしまった。
「アレが六千エン……?」
「えっウチわかんない、六千エンって何できんの」
「お前の好きなブレイバントが二十個買えるぞ」
「セフリムの宿の一番いー部屋にしばらく寝泊まりできる」
「ハァ? どーかしてない?」
「競り落とすまでやるつもりかあ、ワーさん?」
「依頼主に借りを返すってこと?」
「あの様子だときっと何エンでも入れ続けるね」
「きみの上司、何してるのよ」
「いやあ。誰の迷惑でもないしなあ」
 受注書は六,七八〇エンになった。会場のあちこちからどよめきが聞こえ、値段が上がるごとに歓声が沸いた。人々は熱狂を帯び、ワールウィンドが平然と入札するたびに興奮の拍手が起こり、ついには「ワールウィンド!」のコールが上がりだす。平静を装うエドワルドは装いきれずに口の端が歪みまくって、何とか笑いを堪えていた。
 ワールウィンドとやりあっているのは三人だったが、とうとう七,〇〇〇エンを突破して、一人が諦めて手を引いた。残る二人も額が細切れで鈍ってきている。一方のワールウィンドは見慣れたぬるい笑顔を浮かべたまま――ハンマーが振り下ろされて勝負は決した。ワールウィンドは八,四二〇エンで好事家を蹴散らし、自らサインした無効の受注書を手に入れてしまった! ワールウィンドが手続きを求められて席を立つと会場は奇妙な熱狂で沸き、歓声と拍手と口笛で爆発的にどよもした。銀の稲穂団の周囲でも立ち上がって大喜びする者、してやられたとばかりに笑う者が大勢いた。
「馬鹿だなあ、あの人」
 椅子に深く腰かけて、実に愉快そうにエドワルドがごちた。成り行きに満足したブレロもそれを聞いて振り向くと、エドワルドは続ける。
「あまり興味なさそうにしていたから、こんな風になるとは思わなかったよ」
「人を楽しませるのが上手いな。この盛り上がりを見たら、とてもじゃないがざまを見ろとは言えないよ」
 レリッシュには不興を買ったメディカツウを思い出しながら、ブレロは言った。「なあ」と冒険者ギルドで甚だ憤っていたギノロットを見ると、彼は仕方なさそうな顔で笑ってみせた。