帝国の皇子と世界樹の巫女

 呼び声が聞こえて目を覚ますと、バルドゥールは自分がまだ生きていることを知った。視界はぼやけて、手足は重くままならず、呼吸もずいぶん苦しかったが、誰かが彼を懸命に抱き起こそうとするので、応えようと唇を動かす。すると、
「よかった、バルドゥール――!」
 その声をバルドゥールが忘れるわけもない。彼女は巫女シウアンだった。衣裳を汚して、髪はもつれて、ひどくはしたなかったが、安堵さえ覚える声音を、今や傷つき身動きもままならぬバルドゥールは、悪く思わなかった。
 バルドゥールが名も知らぬ多くの者たちが、彼の様子をうかがっている。彼の兵だけでなく、タルシスの兵と冒険者、バルドゥールが殺そうとしたウロビトやイクサビトまで、全身を汚してそこにいた。瓦礫に埋もれたバルドゥールを掘り起こそうと、立場も種族も超えて一つに力を合わせたのだ。彼らは、シウアンとバルドゥールを取り囲んで見守っていた。
「もう、怖いことしないでね。お願い」
 巫女は絞り出すようにささやき、バルドゥールと巫女の視線が結ばれた。
「わたしたちに、何でも話して? わたしも、みんなも、一緒にいるから。 だから、どうしたらいいか考えようよ。ね……?」
 巫女の清い魂に、バルドゥールは胸打たれた。あれほどの酷を味わわせた男に向かって、この少女は尚もまだあくまで優しいのだ。バルドゥールはいつかに強い魂だと嘯いたことがあった。だが違う。この少女の魂は真実、美しく強い。巨人の体に取り込まれ、自らの意志と違えた行いを強いられながら、からがら生き長らえたこの娘は、まだバルドゥールとともにあろうとしている。証拠にバルドゥールの全身を覆い尽くした巨人の呪いが、全て綺麗に祓われているではないか。
 シウアンが望んだ結果だった。バルドゥールに生きることを望んだのだ。他者と手を取り交わり合いながら進む道を望んだのだ。
 その清さは、彼女が世界樹の一端だからなのか。それとも、そのような魂を生まれ持ったからなのか。
 孤独の中で深謀遠慮にすり減った皇子バルドゥールには、あまりにもまぶしい光だった。
 ――どうしてもっと早くに気づかなかったのだろう。
 涙をこらえるシウアンに応えようとして、バルドゥールはそこでようやく、自分の喉が潰れてしまっていることに気がついた。かすれた音が切れぎれに出るばかりで、何の役にも立たない。
 バルドゥールは重たい腕を叱咤して、乱れてしまったシウアンの髪に、そっと触れて撫でた。幼い子供の髪の手触りが壊れ物めいていて、そんなことを今さら気がついたのかと、バルドゥールは恥じ入った。
 一度は拒絶した小さな手を今度こそ握り返したくて、バルドゥールはせめて微笑んだ――。