銀のレイヴン 5

 問題は、金剛獣ノ岩窟が深霧ノ幽谷に通じる迷宮であるのか、ということだった。もし通じているのならば当然その道を見つけたいし、通じていないのならば、第三の認証は何処の地にかで眠っていることになる。そうとなれば厄介な話だ。
 銀のレイヴン本隊は目下、金剛獣ノ岩窟の地下三階でカメを観察しながら悩んでいた。カメの縄張りを超えたところに、次なる道がある気がする。探索で鳴らした冒険者の勘が「明らかに怪しい」と告げていたのである。
 しかし、そのカメは明らかに怪しいのと同じくらい、明らかに危険な魔物だった。硬質の甲羅に鋭い棘を何本も背負った大きなカメは鈍重だったが、上の階でそっくりな魔物を見かけて手こずったのだ――ギノロットがそう言うと、ニョッタはお馴染みの図鑑を取り出した。ペラペラとめくってみると、恐らくはマドカ作の赤いカメの絵に、一通りの対処法を書きつけてあった。そして、興味深いことにワイヨールが、わざわざ鉛筆書きでメモを記している。
『体当たり!! 縛って 焼いて 殺せ』
 私情のたっぷり詰め込まれたひどいメモだが、とはいえ、旅路をともにしたギノロットにはしみじみと頷けるものがあり、旅の苦しみがにじんでいる気がした。
「こわい」
「怖いね。ワイヨールは物騒だね」
「モモ、カメのあししばる」
「うん。私がその間に焼いちゃうからね」
「……お前ら、ぜってーそんな上手くいかねーぞ」
「ねーウチ、ズッタズタにされちゃう。内臓ハミ出て死ぬのヤだー。やめよ? 帰ろ?」
「ひとつの手ではあるね。でも自分たちの成果も欲しいところだなあ……」
 一同はノロノロ這いずる堅そうで痛そうなカメを、物陰からじっと見つめた。見つめるだけならタダであるから……弱ったエリゼが助け舟を求める。
「ねえギノ先輩、なんか妙案ない?」
「ハァ俺? ねーよあんなの」
 あれば今ごろ突撃している。諦め気味のギノロットはアリアドネの糸をどこにしまったのだか探っていた。ポケットに入れたはずなのだけど見つからずにぱたぱたやりつつ、ニョッタせんぱいが焼いて殺すしかねーよ、俺はリンクフレイムで手伝う――と深く考えもせずに言いかけたところで、
「っとと、ある。あるわ一個、『本物のリンク』できる! 座学と講習の成果出す」
「何それ。そんなのできるの?」
「めっちゃ繋がる! リンクしまくる! だから手数多いやつで繋いで」
「ギノ先輩、それちっともピンとこないわ。何が繋がるの? 繋いでって何が?」
 そもそも今までのリンクは偽物だったのかと胡乱げな目でニョッタが睨みつけてくるので、ギノロットは小柄な女に思い切り睨まれるという経験を久し振りにした。
 自分が悪いとはいえ、ギノロットはだんだんニョッタのことが理解できてきた。昔のレリッシュ同様気位が高くて、しかもそれはレリッシュと違って虚勢ではないときている(いや、レリッシュは最初から腕の確かな弓使いだ。ただ迷宮を出るとなぜだか途端に気が抜けて、残念になるだけだ)。一方これは毒のあるクラゲだ。そして柔らかいのは見た目だけで、内実は何も可愛げがない――仕方なしに乏しい語彙を総動員して、ギノロットは何とか話した。
「えと……俺以外のみんなも、一発殴るごとにリンクの技が使えると思って。こーゆう、んと、切り返し……あっ燕返し! したらリンクの火が二回起きる。凍牙三回なら三回燃える。ただし俺に続けば。必ず続いて。……それで分かる?」
「なあんだ、わかるわ。ちゃんと説明できるじゃない」
「ちょっと面倒くさかった。悪ィ」
「死活問題よ、しっかりして。あなたの後に続けばいいの?」
「そーだよ。……しかつ問題って何?」
「ちょちょちょウチそれ、スウィフトしまくりまくったらウチ楽しくない!? 燃えまくりまくんの!?」
「えっ、待っ……まくりまくる? 俺に分かんねー言葉を今増やすな。せんぱいの意味もよく分かんねーんだよ。でも斬ったら斬っただけリンク燃えるから、適当に斬って」
「ひょえ、やるやる。ソレ超まくりまくってるよー! そんなん絶対楽しーい!」
 飛び上がって喜ぶ恐ろしいハンナに、エリゼが静止をかける。さもなければ今にも駆け出して行きそうだったし、一大事ともなれば後からブレロにどやされるのは彼女であった。
「突っ込まれてもかばいきれないよ? あの、あのトゲトゲカメだからね? 第一リンク効くかも謎だからね?」
「せんぱーい。蘇生リザレクト、とってもいたいからね。ねーギノちん」
「俺? されたことある?」
「よーらんのしゅごしゃのときした」
 言われて、吐き戻しそうなほどの苦しみがあったのを思い出し、ギノロットは顔をしかめた。自由に体が動かせていたらのたうち回る痛みだ。モモがいると分からなかったら、本当に死を懇願していたかもしれない。
「だからハンナせんぱい、ちゃんといきててね。リザレクトは、おしおきだからね」
「バックラインにいてよね。前行きすぎる後衛とか意味わからないからね?」
「印術にも巻き込まれないでね」
 次々仲間に諌められるので、ハンナは気勢を削がれた顔をして、うぃっす、としょげた返事をした。
「アレされんなら死んだほうがマシだかんな。ぜってー死ぬなよ。――いくぞ」
 ギノロットの右手が突剣の柄を固く握り、鞘を押さえてゆっくりと引く。鞘と刀身の擦れ合う音に耳を傾ける。
 悠然と這い回っていた堅王へハンナの投刃が飛んだのを皮切りに、戦いは始まった。ニョッタの聖印で空間の元素はすべて支配され、モモの封縛が荒ぶる堅王の足ヒレを捕まえようと湧き上がり、エリゼは率先して攻撃を盾に受けようとした。
 リンクソードマンに道を定めたとはいえ、ギノロットの中に苦手意識があるのはまだ変わらない。今日はなかなか。だが今はあまり……疲労と寒気と知らない語彙がギノロットの精神力を多少に消耗させたので、『本物のリンク』はやや抵抗を伴って彼の全身を駆け、最後に突剣に強く通った。だが一度呼び起こせればこちらのものだ。持続式の、加速的な威力を出す、本物のリンク。仲間の一手を繋げ続けて、敵を絡めて息の根を止める。繋いだ分だけ追い詰めてやる!
 最後まで動かなかったギノロットの足がついに踏み出し、剣士にしか扱いきれぬ印術が周囲に嵐を巻き起こす。その一歩は突剣が軽くした。彼の右手に固く握られた突剣は、嵐に乗って低く炎の唸りを上げる――。

 討伐に四苦八苦していた仲間を助け、ホムラミズチをまんまと仕留めたレイヴンの先遣隊は、金剛獣ノ岩窟の未踏破領域へと踵を返した。討伐隊はなんと「ウロコを割らずに倒したらどうなるのだろう?」という好奇心に負けて、本来の目的たる大きなウロコの破壊を後回しにしてしまったという。それで結局何もなかったのだから、馬鹿な話を笑い飛ばして一蹴りかまし、マルデルを筆頭とした先遣隊は魔物たちを殺して進んだ。
 少し進むとすでに事切れた魔物の死骸が時折に転がっており、この道を『銀の稲穂団』が通り抜けたであろうことが察せられた。大きなヒョウガジュウだの青モグラだの黒いドレイクだのの死体を眺め、時に派手に倒しながら、楽しく滑って奥を目指せば、真っ青に光る『王の認証』の巨大な宝玉を見つけた。触れてみても何も起こらず、仕掛けは作動した後のようだった。
 先遣隊はまだまだ余力があった。何しろホムラミズチは八割方体力を失っていたので、先遣隊は最後に手を貸したに過ぎなかった。となれば当然、未踏破領域を見るべく行こうというもので、地図を書きつつ進んでいると、やがてどこかから剣戟と爆音が聞こえてくる。
「おや。まだいたのか、銀の稲穂団」
 フォルセティが目を丸くして顎に手を当てた。自分たち先遣隊が途中離脱したから、てっきり彼らも認証を取り終えたら、さっさと撤退しているかと思ったのだった。
「若者はこれだからいかんな」
「言ってやるなよ。若者だってちょっとはいいトコ見せたいだろ」
 メディック・デニスが白衣のポケットに手を突っ込んだまま銀の稲穂団の肩を持つが、フォルセティは首を振る。
「この道の至る先を理解もせなんで」
「フォルセティ。自分の胸に手を当ててもう一回おっしゃいな」
「いや、自分の言ったことはよく覚えているたちだ。お気遣いどうも、ニーナ」
「とか言いつつ、若者のことが気になる俺たちだろ?」
「そうよ。エリゼちゃんはうまくやっているかしら、とか」
「ウロビトのオチビさんまで連れてるんだろ。ヒヤヒヤもんだよ」
「何なら後ろから『糸』でもぶつけてやれよ」
「実力行使かい」
「追いかけてさ、鳩が豆鉄砲を食らったような顔ってのを見ちゃおうぜ」
「ぷっ。いやだ。絶対イイ顔してるわよ」
 オーズの冗談を笑いながらデニスは、暇があれば銀の稲穂団に治療を施してやろうと、医療鞄の中身を確かめる。マルデルは殴れば殴るほど体力を取り戻すおかしなモノノフの技術を体得しつつあったし、オーズもフォートレスのご他聞に漏れず、怪我が過ぎてもホーリーバッシュで暴れ回る呆れた男だ。飄々としたフォルセティは遠距離からの印術と弓罠に慣れてきているから、痛手と無縁になりつつある。前と後ろを行き戻りするニーナが多少は踊り疲れているだろうか。残るメディック・デニスは聖印を叫びすぎて喉が痛いので、飴玉をひとつ口に放り込んだ。このごろやっと覚えた聖印は、なかなか声帯を酷使するのだった。
 現場に辿り着くと果たして銀の稲穂団は激闘を繰り広げていた。背中に槍のような角を背負った、例の厄介そうなカメ相手に善戦し、足ヒレを蔦に縛り取られたカメは動きにくそうにもがいている。マルデルが影からギノロットの様子を確かめ、オーズとニーナは踊れる砦の踊りっぷりを観察した。
「見ろマジで踊っちゃってるぞ、あの子。……うおッ弾いた! たまんねぇな、ヨダレ出るな」
「ダンスウィズシールドね、新ジャンルよ。貴方より身軽だわ」
「オレは野山の殴れる砦よ。城塞騎士マジモンと一緒にされたら困るなぁ」
「ギノロットちゃんが案外落ち着いてんな」
「自分と比較するな。……もう少し羅刹控えろ、そのうちどうにかなるぞ? 俺の心臓が持たない」
 マルデルを脅しながら、デニスは『なぜ彼らはそんなにやたらと炎で攻めているのだろう』と違和感を覚えていた。前衛連中はいつもそうだが、相手を捌くのに夢中で細かい観察までは行き届かないらしい。日ごろ馬鹿どもの後ろで控えて、飴玉を嗜む余裕を忘れぬデニスには、何かがおかしいと思わせるものがあった。
 そこでデニスはフォルセティに『アナライズ』を頼んだ。デニスの懸念に首肯したフォルセティはアナライズの呪文を唱えだし、横でデニスは魔物の図鑑をドッコイセと取り出して、ペラペラめくった。それでやっと合点がいった。
「なるほどなぁ。上の階のカメを火でやっつけたよな」
 皮膚の赤い『鎧の追撃者』と呼び名する上階のカメは、カメの癖に寒さに強い。所詮は爬虫類と舐めてかかった当時の自分たちが、氷槍の印術を噛み砕かれて驚嘆していたことまで思い出した。銀の稲穂団も同じ経験をしたのだろう、赤いカメに対するのと同じ戦法を取っているが――さて、フォルセティのアナライズが完了し、彼はデニスから図鑑を受け取ると、新たなページにその特徴をサラサラと記述していく。一度こうなると自動筆記状態になってしまうから、書き終えるまで待たなくてはならない。
 そしてあの青いカメの弱点が明らかになったとき、迂闊なデニスはつい「炎じゃないよ氷だよ!」と叫んでしまった。突如響いた声に驚いた銀の稲穂団の誰かが振り向いて、しかし振り向いた誰かはカメのくちばしの餌食になりかかり、そこを踊れる砦が突き飛ばした。
「エリゼちゃん!」
「デニスのばか、余計な口出ししてっ!」
 華奢なハンナを護ろうとしたエリゼが腕を激しく噛みつかれ、更には振り回されようとしていた。ニーナが悲鳴を上げ、マルデルがデニスをどついて転がし、拍子にデニスは飴玉を飲んでしまった。
 だが、レイヴンのパニックはそれまでだった。ニョッタがその清冽な美しい声と手で氷の聖印を宙に刻むと、あたりの元素はたちまち彼女に魅了されて岩窟の温度をさらに下げ、そして人間たちを温めた。自動筆記から我に返ったフォルセティと起き上がったデニスは目を見張る。一瞬の状況判断に、今度は驚く番だった。
 間髪入れぬギノロットの突剣が悠然たる堅王の前ヒレを貫き、聖印を受けたリンクフリーズが見る間に甲羅まで覆い尽くしていくと、悔しげなハンナの剣が逆の前ヒレを立て続けに切り裂いた。斬撃と同時に砕ける氷に堅王はたまらず口を開いたが、開いた口で再びハンナを食い千切ろうとする。だが食い千切られたのは彼女のまとったクロークだけで、ハンナ自身はすでに自陣へ引きすさっていた。そしてモモが方陣を弾いて壊し、エリゼの出血を止める。見つめるレイヴンは影からほっと息をついた。思いの外に要領がいい。
 腕を離されたエリゼは痛みも介せず戦鎚の一撃を振り下ろすと続いた氷の衝撃が容赦なく堅王の槍を叩き折り、エリゼの赤い血はあたりに跳ねた。酒場で大いに笑っていた女とは同じに見えぬ苛烈さである。
 続いて再びあの清冽な声が朗々と洞窟に響いた。しかしそれは意外にも、天雷を呼ぶ印術だった。ニョッタのロッドが閃いた途端にルーンが輝き導かれてゆき、何発もの雷が槍に打ち下ろされる。衝撃を受けたリンクの力は激しく氷を弾け飛ばして、堅いはずの甲羅にいくつもめり込み、無数の氷礫を受けた悠然たる堅王は内臓を掻き回されて絶命した。
 なぜか天雷の印術を放ったニョッタは肩で息をしながら首を傾げ、だがその一言で謎がみなに明らかになった。
「やっぱり変だわ。脱臼なんてどうしてできるのかしら」
 銀の稲穂団の痩せぎすルンマスがどのような術を用いたものだか、彼女は実践していたのだった。

 エリゼがヤダヤダ言いながらデニスの処置を受け、ハンナがごめんなさいと平謝りしている中、ニョッタは引き続き頭をひねっていた。ワイヨールのコントロールがよい理由は、もうわかった。ソードマン・ギノロットが敵に張りついて動きを止めるせいだ。
 ニョッタはワイヨールの印術を、あれこれ細かく元素に指示する口うるさいものだと思っていた。だがそうではなくて、ギノロットに当たるのを恐れて仔細に施された必要な措置なのだということを理解した。ギノロットがいると魔物を足止めするから術を当てやすい。だが、肝心のギノロットまで及んでは意味がない。接触戦のソードマンに退けというのは傲慢に過ぎる。
 何事にも意味があるのだということを、ニョッタは胸の内で反省していた。結局ワイヨールは、冒険において彼女の先達だった。
 しかし何ゆえ自らを損なう天雷が呼ばれたのか、ニョッタには不可解でならない。もちろん、ニョッタとワイヨールの用いる天雷の術式は同じではない。だが天雷を定める術式は、原型を失うほどの変形はできないはずだった。そうでなくては冒険者ギルドが天雷と定める術が起こらない。定められた迷宮の印術を起こせぬ印術師は、冒険者ギルドのルーンマスターとは呼べない。そして天雷の印は、術者に過剰な反動を加えるものではないのだ。術者が傷つく形にするわけがない。
 揺籃の守護者とは凄まじい戦闘を繰り広げたと聞く。決死の戦いがワイヨールに、逸脱した天雷を呼ばせたのだろうか。ギノロットを招き寄せて疑問をぶつけても、よくわからないという顔をしたが、代わりにひとつ気になるということを教えてくれた。曰く、そのときは常ならず魔力が激しく輝き弾けて溢れ出していたこと――ローブを焼くとかいう例のおかしな力であることは、ニョッタにも察しがついた。
 すると、印術師はなぜか寄り集まろうとするもので、何気なくやってきては興味深そうに聞いていたフォルセティが口を開く。
「天雷はそもそも御せる術ではないが、変わった人物だな。その無駄遣いはわざとなのか?」
「いいえ。それでそのままよ」
 ワイヨールがいくら修練を積んでもそうなってしまうことを銀の稲穂団はすでに知っていたので、ギノロットとニョッタは顔を見合わせる。
「まるで火の具合を見られない子供のようだな。彼の名を何と?」
「ワイヨール・シュレンケという人。北西の生まれの」
「空腹もそこまで過ぎると、もはや牛馬だな。よく途中で燃料切れにならぬものだ」
 苦笑するフォルセティの言葉で、ニョッタの思索の水面にひとつ小石が落ちた。
 ワイヨールが平気な顔して三属性のどれかを操っているのを、ニョッタは知っている。まさに本人の言うとおり、『三色随時即対応』だ。しかし魔力というのは呼吸のように、瞬きのように、自然に使えるものだったが、際限なく続くものではない。
 ニョッタが考え込んでいると、隣でギノロットがつぶやいた。
「目が微妙に変わるんだよな……」
「えっ? 目が座るってこと? 吊り上がるとか?」
 いや、とギノロットは口ごもる。何と表現したらよいのか言葉を探している様子でしばらく視線をさまよわせると、
「同じ黒でもただの黒じゃなくて、それこそ『玄く極まる』……俺なりに言えば。なんて言ったらいーのかな……」
「クロ……何? わからないけど、南洋の言葉?」
 残念ながらその外国語はニョッタには聞き取れない。血に依ったとはいえ、よくもまあ印術に乗せたものだと嫉妬混じりに感心するが、ギノロットはまだ迷っている。
「夜の黒より、もっとの黒。でも……。いや――いや、うまく言えねーわ」
 言いづらそうにしてそれきり黙ってしまった。そして、目を合わせてくれない。
 何か隠していると感じたニョッタは聞き出そうとしたが、彼はあくまでも口を閉ざした。食い下がってみても義理立てして、嫌がるばかりで駄目である。俺は人の話をベラベラ喋んのは嫌いなんだよ、とついには怒り始める始末。ニョッタはそれ以上を諦めた。
 しかし、自らがかつて、レリッシュに伝えようとした『混沌』という言葉が、一層の真実味を増して聞こえるような気がしていた。ワイヨール、あの人は、目で見るよりもぐちゃぐちゃしている。

 やがて、デニスの呼ぶ声がした。エリゼの処置が完了したのだった。
 エリゼは上腕当てのちょうど途切れた部分を噛みつかれて出血していた。振り回されたにも関わらず、切断や骨折や、まして脱臼とはならなかった。エリゼのもっけの幸いを、デニスは「上手な怪我だ」と奇妙に褒めた。
 ただ悠然たる堅王のくちばしは、エリゼの上腕当てを歪ませていた。命綱である防具を破損してしまったら、さすがのフォートレスも降参である。銀の稲穂団はメディック・デニスによって撤退を言い渡されてしまった。
 しかし、である。
「勿体なくねー? もっかい突貫でチーム作って進むのダメ? 急ごしらえじゃ難しーかな」
 あくまで進もうとするのがマルデルだった。エリゼの手当中に暇をみた彼女は、悠然たる堅王の縄張りの先を観察しに行っていたのである。するとそこには確かに『青い通路』があって、どこかへと通じているようではないか。冒険者たるもの、見なかったことにはできない。フォルセティがちらりとマルデルを見やった。
「試しにメンバーを。どういったチームを?」
「マルデル、ギノロット、オーズ、フォルセティ、デニス」
 職で言うならソドモフ、ソドルン、フォトメディ、ルンスナ、メディルン――マルデルは一人ずつ指差しながら確認していく。
「やや浮かれた構成だ。デニスかギノロットを外したまえ」
「消去法でギノだな。俺がいなくて誰が回復するんだ。罠も欲しいだろ」
「いや早まるなって、もっと浮かれちゃえって。オレじゃなくてニョッタちゃん入れてみな? ルルルルーンになっちゃうんだぜ?」
「待って。私はただのルーンマスターなの。できることは少ないわよ?」
「じゃあウチの罠撃ちルンマス見ていきな。な、意地悪ジイさん」
「足元を取ると的が動かんので大層便利だ」
「ほら見ろこの態度、な? 見学してけ、見学」
「そう、聞いていきたまえ。私がなぜただの浮かれたじじいでないかというと、」
「あなたたち! 怪我人がいるのよ。早くして頂戴。お望みなら派手に踏んづけるわよ」
 悪乗りレイヴンをニーナの艶な声が叱責する。派手に踏んづけられたくない悪乗りたちはすぐに静かになった。すると、
「マルデル、オーズ、ニョッタ、フォルセティ、モモ」
 黙って様子を見ていただけだったギノロットが、口を開いた。
「道の先に深霧ノ幽谷があるならモモがいたほーがいーけど、モモに怪我させたくねーから、火力の高い持久力あるやつが欲しい」
「モモ、ホロウしばる? 脚封したらいい?」
「そー。オーズ、モモのこと守ってやってほしい」
「おっ、わかった」
「モモやだ」
「イヤッ、オレダメ? 加齢臭でもする?」
「んーん。ギノちんもエリゼもいないのこわい。おじさんのことはすき。でもカレーのにおいしない。ばんごはん、カレーなの?」
 加齢を聞き違えたモモに、マルデルはニコニコと笑った。
「なら私の代わりに、ギノロット入んな。モモちゃんが安心するのが一番いいもんね? カレーは私が作って待っててあげる」
 無事に帰ってくるんだよ。マルデルが微笑みかけると、嬉しいモモはブンブン首を縦に振った。

 誰もの予想の通り、青い道は深霧ノ幽谷に連なっていたが、そこから先はまさに力押しだった。
 深霧ノ幽谷でのギノロットは、『本物のリンク』はおろか三色のリンクどれも控えるように厳命された。聖印を刻む者がなくなったら、この高火力隊は一枚落ちる。そしてギノロット一人、持久力の点で低い。前人未到の場所でこの戦略を取れなくなってしまえば終わりである。
 モモが方陣の威力を遺憾なく発揮して魔物どもを封じ込めると、ギノロットが声の限りに聖印を刻む。するとニョッタとフォルセティが周囲一体を一瞬にして薙ぎ払い、運悪しく生き残ってしまったものには、前衛二人が殺到し、一息に死出の道行きをくれた。ウロビトの死体を弄んでいた不埒なホロウに出くわした際は、ギノロットが心臓を一突きにして復讐を果たし、不運なウロビトの亡骸を慰める。出来合いとは思えぬ圧倒的な力を見せつけながら、銀のレイヴンは先へ進んだ。
 戦法が変わったのは桃色の翼を持った走鳥のたぐいを相手にしたときである。大きな体に無尽蔵のスタミナを持っていたこれには、さすがに瞬間威力も間に合わない。硬い職の男二人がつかず離れずして術士が弱らせる、手堅い戦略に切り替わった。しかし隙をついた方陣が鳥を蔦で引き倒すと、やはり血も涙もない雷が走鳥を襲い、息の根を止めた。
 やがて日も暮れようかというころになって、五人はようやく王の認証を見つけた。赤く輝く宝玉の認証が、青い霧の森の中で一際強く輝いている。周囲の安全を確認したオーズが口を開いた。
「さあて、誰がタッチする?」
「私は前回やった。譲ろう」
「そんなら俺も譲る。さっきやった」
「ほんじゃオレかな?」
「モモもやってみたーい」
「私もやりたいな。せっかくここまで来たんだもの」
「っしゃ。ならジャンケンで公平かつ尋常にいざ勝負だ」
 三人の真剣勝負は熾烈を極めた。あいこの回数が十回を越えたところで、見飽きたギノロットが周囲の警戒に戻ろうとしたら、ついに十一回目でオーズが落ちた。オーズは大いに悲鳴を上げて嘆き、終いには膝をついて、握りしめた自らの拳を、信じられないものでもあるかのように見つめるのだった。
「ぐーだしすぎー」
「そうね。半分はグーだったわ」
 ニョッタとモモは互いに見つめあう。衝撃から立ち直れぬフォートレスをよそ目に、火花散り降る女の戦いが始まった。互いにグーで始まったジャンケンは心理戦となって、裏の裏をかいては読み、出し抜こうとしては勝負がつかぬ鍔迫り合いとなり、やがて冷静になり始めたオーズが『今のうちにタッチしちゃえばオレの勝ちじゃねえのかな?』と気づきかけた刹那に、雌雄が決した! ニョッタの鋭い悲鳴が上がり、モモが勝利のピースサインを振りかざす!
「やったー! モモのかちだよ!」
 ぴょんぴょん飛び跳ね大喜びするので、オーズは自分の悪を恥じた。あの幼いウロビトの少女に、汚い大人の仕業を見せなくてよかったと反省した。そして手を取り一緒に喜んでやるギノロットの姿に、模範的な成人男性の態度を見た。ぼちぼち四十の見えかけている中年は、二十にもならぬ若造に何かを教えられてしまったのであった。
 果たしてモモが栄光の道へと進み出て、その赤い宝玉をひたりと両手で触れる。すると宝玉に刻まれた掌の紋章が強く光りはじめ、金剛獣ノ岩窟と同じように何かの仕掛けが働いたかと思うと、しばらくして、それは光とともに止まった。
「おわった、っぽい?」
 モモがギノロットみたいな口調で振り向いて、フォルセティとギノロットは頷いた。モモは彼らの反応を見てほっと胸に手を当てると、
「ちょっとこわかった……」
 しゅんと耳を垂らしてしまうので、苦笑のニョッタがぎゅっと抱きしめてから、一同はその場を後にした。アリアドネの糸で帰還の結界を形作ると、五人は一瞬にしてタルシスの地へと運ばれた。