ブレロと銀の稲穂団 2

 その日の『銀の稲穂団』の集合は必須ではなかった。ただ帳簿をつけるのを済ませたかったので、ワイヨールが冒険者ギルドの会議室を借りて事務仕事をせっせとやるだけだった。数日前、「冒険向けの買い物したならよろしくね」と呼びかけただけにすぎない。言えば請求書が出されることもあるだろうという思いで、ごくゆるく伝えてあった。
 とはいえ、銀の稲穂団は集まるのが好きなギルドだ。ギルド名義で会議室を借りると、掲示を見つけて誰か来る。時間通りに午後の二時から、のんびり帳簿つけを始めたら、一人が顔を出した。ギノロットである。いつもの調子で挨拶もそこそこ、彼は大きな溜め息をついて苦い顔をした。
「なー、ベルンド工房に修繕頼んだら、買うほうが早いってまた言われた」
 ギノロットは不満げである。ギノロットの武具は迷宮を一つ越えるとずたずたになって、傍目からしても買い換えたほうがよいことが多かった。どこのギルドでも矢面で戦うのがソードマンの仕事だから、ギノロットの宿命とも言えたが、今挑戦している『木偶ノ文庫』は、特にひどかった。
「きみが頑張った証拠でしょ。お陰でみんな無事だし、相変わらずお金の心配もないしね。また下取りに出して好きなの選びなさいな」
「買い換えるたんびにいちいち測り直しだし、試着だの何だのってやんなきゃなんねーし、面倒くせー」
 ギノロットは窓際に一脚置いてある一人がけのソファに座った。日向好きの彼は定位置でくつろぐために、足を伸ばしたくて丸椅子をテーブル側から拝借した。
「ワイヨールは? 装備換えんの?」
「まだいらない。ちょっと裂いただけだし」
「そっか。また繕ってんの?」
「うん。刺繍が増えると愛着も増すよねえ」
「いいなー。俺も愛着持ちたい」
「いいだろ。私の特権よぉ」
 会話はそこで終わり、ギノロットは穏やかな午後の日差しを受けて眠り始めた。晴れた日はあのソファでうたた寝をするのが彼の趣味なのだ。ワイヨールは引き続き、帳簿とにらめっこしては数字を弾く作業にかかる。しばらくするとギノロットの規則的な寝息が聞こえてきた。
 三時の鐘が鳴ると同時にドアがノックされ、二班の女の子たちが弾ける笑顔で現れた。全員いかにも市街地に買い物に出かけてきた女の子らしい服装で、手に手に大きな紙袋だの紙箱だの、いろんなものを持っていたが、エリゼが荷物を置いて言い出した。
「楽しかったぁ! ねえワイヨール、見て見てホラ」
 言うやいなやむんずと誰かを捕まえて引っ張り出すと、顔を真っ赤にしたレリッシュがおずおず現れたのだった。白いワンピースから、なめらかに引き締まった手足がしゅっと伸びている。
「じゃっじゃーん! 二班監修! レリッシュ私服!」
「おおっ。華やかながら爽やかで愛らしい。女の子なのに素っ気ないんだもの、やっといいもの着たね。似合ってるねえ、靴も女の子でいいねえ。やったね二班!」
「ついでにおリボン新調しました」
「……ニョッタが編んでくれました……」
 注目されて恥ずかしがっているレリッシュが、もごもご言う。前と同じ色合いで、縁に魔除けの言葉がルーンで小さく縫いつけてある。
「仕事が早いなあ。私の魔除けあんまり効かないからな。助かるよ」
 ニョッタはえへへとはにかんだ。得意そうにしているハンナとエリゼも、何ともまぶしい。女の子が仲よくしてるのはいいなあ。ワイヨールもつられて笑ってしまう。
「おいちょっとギノ、褒めてやんなさいよ。レリッシュすっごいかわいいよ」
「俺そーゆーの分かんねーし、いー」
 完全にソファをベッドにしたギノロットは、寝返りをうって背を向ける。
「何だよ、ギノはかわいくないな……じゃあ、人も増えたし、おやつの時間にしますかね。ちょっとそこらで飲み物でも買ってきてよ」
 ワイヨールが女の子たちにポットを託すと、彼女らはワヤワヤ言いながらコーヒーを買いに出かけていく。
 静かになった部屋はまた男二人になってしまった。ギノロットは仏頂面して目を閉じている。
「何照れてるの、ギノ」
「照れてない」
「本当かあ?」
 ねぇ見て、で眠たそうに目を向けてから、じゃーんで背凭れからずり落ちて、そのまま寝たふりを決め込んだところまで、ワイヨールは確認している。かわいいやつめ、とワイヨールはこっそりニヤニヤした。絶対にマドカの寮にお使いに出してやらなければいけない。
 全員でおやつの時間を過ごして、いよいよ日が傾いて五時の鐘から少し経ったころ、今度はマドカとモモが現れた。二人とも大きな鞄を肩にかけている。
「やっほお、来たわよ」
「きたよぉ」
 図書館で勉強していたという。マドカはともかく、モモは何だかクタッとしていた。
「もしかしてずっとやってたの?」
「そんなわけないでしょ。ちゃんと休憩したわよう。一時間に一回十五分間、お腹いっぱいお昼も食べて、しっかりおやつもいただいたのよ」
 二人は空いた席に腰かけた。ワイヨールは疲れてかわいそうな顔をしているモモにビスケットとジャムの残りを差し出しながら、「何時からやってたの?」と尋ねた。マドカは平然と答える。
「八時」
「そんな学校みたいなことしてたの!?」
「もちろん内容はちゃんと厳選してるわ。……何よ、その顔。あのね、メディックは甘くないのよ。死にたくなかったら、応援して」
 本当は厳選自体が不本意なのだろう、彼女はちょっとふくれた。医療にかける情熱は並ならぬものがあるマドカである。
「わかるけども。モモは子供なんだから、私よりひ弱だと思って気を遣ってよ」
「食べる練習も始めたから平気よ」
 えっ? 食べる練習? 何だそれは。ワイヨールはぽかんと口を開けた。
「だってウロビトって食べる量が少なすぎるんですもの、そりゃあ細身に決まってるでしょう。体も脳も追いつくわけがないじゃない。あなた、自分を見たら理屈がわかるでしょう?」
「いや、まあ、それ言われると……でも突然食習慣まで変えなくても」
 食べるにしても食べないにしても、どちらであれ辛いことには変わりないはずだ。フォアグラの作り方を思い出しながら、太れない系男子たるワイヨールは食い下がる。するとマドカは溜め息をついた。
「考えてもごらんなさい。栄養不良で倒れたら、お話にならないわよ」
 頑として譲らない。モモのほうも机に広げたビスケットを一口かじって、だいじょぶ、と言った。ワイヨールが小皿にジャムもすくってやると、モモは指先で少しなめる。すると被毛のある獣めいた耳が、ピンと跳ね上がった。
「おいし! マドカもたべよ」
 ニコッと微笑んで、むしゃむしゃ食べだす。……どうやら本当に大丈夫らしい。
「ねえモモ、熱出したりしないようにね。辛かったら言うんだよ?」
「それも考えて明日の午前はお休みです。私も勉強するし」
「……マドカお前、まさかいろいろ前提じゃねーだろーな」
「失礼ね。体調管理も私の仕事よ。私、あなたよりちゃ〜んと見てるから。口出さないでちょうだい」
 ギノロットがただちに返り討ちに遭い、二班の女の子たちが恐ろしいものを見たという顔で見つめ合う。どんな言い分もことごとく叩き捨てる、これが『銀の稲穂団の母性』メディック・マドカかと。

 モモとマドカが小腹を満たしたころ、ドアをノックする者があった。すりガラス越しに見覚えのある茶色い頭の男性の姿が見て取れる。みな一見してブレロだと思った。しかし、ブレロのようなぼさぼさした頭でもなく、はてと顔を見合わせた。
 ワイヨールが出迎えようと席を立つと、ドアは自ずから少しだけ開いた。――見覚えのあるようなないような、身なりのいい男が立っている。ブレロのような、噂に聞いたブレロそっくりの兄のような、しかしかけた眼鏡がなおさら判別をつかなくしている。
 男はワイヨールの戸惑いを見て、少し底意地が悪そうにニヤリと笑った。若干酒が入っているらしいことがわかる。
「自分から開けたらブレロだろ」
 モタモタしていたワイヨールに、ギノロットがにべもなく言った。
「つまんないこと言うなよな、お前」
「何その格好。兄貴じゃあるまいし」
「何でも俺に似合うから困っちゃうよな?」
 フフンと鼻を鳴らし、ステッキでドアを開け放ってみせる。その仕草は女子の笑いを誘ったが、ワイヨールははたと気づいた。ブレロが持っているステッキの握り、子豚の飾りが変だった。
「そのブタちゃん、黒焦げじゃないの。どうしたのそれ?」
 ――アハッ。
 ブレロは眼鏡の奥から不吉な笑いを浮かべたので、ワイヨールはぎょっとなった。まるで夜道で一人嗤うナイトシーカーみたいな笑顔だった。いや、いくらナイトシーカーだとしても、当のハンナもそんな笑顔はしないだろう。一緒にするのはひどい。部屋の空気も凍りついた。
「一発ボルトストライクしたらさあ、なっちゃったあ。ヤワな鎚はダメだな、使えねえのなあ」
 言って放り捨てる。見たところ黒檀であるステッキは床に音高く転がった。部屋はますます冷たくなる――ブレロがただ事ではない。どこでボルトストライクをブっ放したのかも恐ろしくて聞けない。さては交渉が決裂したのか。ワイヨールとマドカは恐る恐る視線を交わした。
 急に無表情に切り替わったブレロがのしのし行って奥のソファに乱暴に座ると、その衝撃でソファがガタガタ傾いた。隙を見たマドカがこっそりステッキを拾って物陰に隠したので、みんな黙ってマドカを讃えた。
 ブレロは足を伸ばそうとして丸椅子に両足を掛けるが、椅子はまともにかかとを食らってガツンと言わされた。見守るほうは戦々恐々である。
「タチ悪ィ酔い方してんじゃねーよ」
 椅子に恨みでもあんのかよ。ギノロットがつぶやいたが、ブレロはそんなの無視してせっかく綺麗に整えた髪をくしゃくしゃにして、しかし手についたヘアオイルだけはハンカチーフで丁寧に拭き取ろうとしている。酔漢らしくわずかにもつれる舌でブレロはボヤボヤ言い出した。
「俺、一生懸命頑張ったんだよおギノぉ」
「何を頑張ったんだよ」
「だって冒険者まだ辞めたくないんだもん」
 と言うやハンカチも丸めて投げ捨てた。
「何が起きたかまず聞かせろよ。話分かんねーし」
 荒れたブレロのそばに椅子を寄せて座り直したギノロットは、つっけんどんなりにも優しくしてやっている。ここにいるのは非力なルーンマスターと女性ばかり。リミッターが弾けたフォートレスに立ち向かえるのはギノロットしかいない。もはや一同は行く末を見守るしかなかった。
「俺は銀の稲穂団を守り抜こうとしたの。偉いだろ?」
「ハァ? 何だそれ」
「だってうちのジイさんがさあ」
「じーさん何だってんだよ」
「フォートレス辞めさせられるか銀の稲穂団にちょっかいかけられるか、どっちかだったと思うわけ」
「はん? 軍人か警察かなんかか?」
「いや、ただのジイさん」
「そんなん、何するわけでもねーじゃんか。放っとけよ」
「唸るほどカネ持ってるんだぞ。俺たち私兵か傭兵かなんかにされちまうぞ!」
「それは……話による。そんなギルドいっぱいあるし」
 ギノロットが答えると、わああ! ブレロは信じられないとでも言いたげに叫んだ。
「ホイホイいい装備買ってもらって、安全に探索して、傭兵として幸せに暮らしました〜でお前はいいんだな!?」
「それで楽園探せんなら、そんな悪くねーわ」
「お前! おっまえ! 友達がいのない! 何それ!?」
「ねーリーダー、ぶっちゃけウチもそれでいい」
「っつーか今より安定なー」
「やだ! 俺はやだ! 養われるくらいならカーペットになって生きてたほうが幸せだ!」
「大きく出ましたね……」
「あっレリッシュ。すっごくかわいい服着てる。似合う。この上なく似合う。ウッソ何それテンション上がる。今日の君はまるで妖精だ」
 ブレロの言い草に声を出したレリッシュが、見事に酔っぱらいに絡まれる。勢いでレリッシュの前に転がり出てはひざまづくまでやりだすブレロに、銀の稲穂団は全員呆れた。レリッシュは若干むっとなりながら、続ける。
「私兵と傭兵とカーペット以外の、何になりたかったんですか?」
「これからお兄さんと遊びに行こう? 暗くなる前に化粧品買いに行こう? かわいくなってごはん食べて遊ぼう?」
 とレリッシュを無視するので、我慢を超えた彼女の顔が引き攣った。まだまだ中身の入っている桑ジャムのビンを鷲掴みにし、
「……汚れたカーペットにしますよ」
 と凄むので、それでやっとブレロはブレロなりに小さくなった。
「レリちゃんひどい。もうちょっと俺に優しくしてくれてもよくない? 俺すげえ傷ついた。悲しい、泣きそう」
「……ッんもー! うるせー!」
 くよくよしだす酔っぱらいにとうとうギノロットが頭を抱えて叫んだ、と思うやいなやブレロの襟首を捕まえて外へと引きずり出して、
「もー分かった、手にも負えなきゃ始末も負えねぇクソむかつく。飯にすんぞ、飯だ! ……ハァ? 泣くな面倒くせーんだよお前、うっぜーなシラフに絡むなっつってんだろーが。オラ来い、俺は魚が食いてーんだよ! お前全部金出せ!」
 四の五のうるせー! てめーで歩けバカタレ破産させんぞ! ――一瞬で暴力的な収集が図られ、見ている間に何が何やらな雰囲気が会議室に漂う。ギノロットの猛烈な啖呵は少しずつ遠ざかっていき、はっと我に返ったワイヨールが立ち上がる。
「私も行くよ。二人だけじゃどうなることか」
 慌てて身支度を整えるワイヨールを見て、レリッシュは身を乗り出した。
「あの、ついて行きますか? わたし、いないほうがいい?」
「来たいなら止めないよ、迷惑料でブレロにおごらしとけばいいから。マドカはみんなを連れてって。何というか、いろいろ頼む」
 気をつけてね、と手を振るマドカに見送られ、痩せぎすの男と妖精は走り出した。

 ぐずぐず言うブレロを魚のうまい店目指して引っ張って歩いていると、待ってくれ! とギノロットを呼び止める声がする。振り向いてみればワイヨールと白い服のレリッシュが大慌てで走ってくるので、ギノロットは足を止めた。ワイヨールが息を切らして追いつくと、彼はいつもの愛想のよい笑顔を浮かべた。
「……ああ、リーダーを破産させられちゃたまんないからね。間に合ってよかった」
 それほど意味なく口走ったことに、ギノロットもつられて笑った。海から遠く離れて長いギノロットは、今もまだ魚料理が好きだったが、内陸のタルシスでは魚料理というと、時に値の張る高級料理でもある。
「させねーよ。そのへんは分かってる」
 とギノロットが言うと、ワイヨールとレリッシュは安心したらしかった。ギノロットはブレロを引っ張り再び歩き始めた。レリッシュが、靴を小刻みに鳴らしながら尋ねる。
「どこまで行くんですか、ギノさん」
「そこの通り越えて、もーちょい行った裏んとこ。そこの魚旨い」
 言われたレリッシュはふうん、と応じたが、ギノロットの言が具体的にどのあたりであるのかはわからなかったし、恐らくはそう遠いところではなさそうだと踏んだので、曖昧なままにしておいた。それにレリッシュはタルシスの街にあまり勘が働かないので、詳しく聞いてもわからないかもしれないと思ったのだった。ギノロットはよれたブレロを叱咤したり、どやしたりしながら、確信のある足取りである通りを右に曲がり、ある筋を横断していく。心配はいらなそうだった。
 大通りからすっかり離れて二回目に角を曲がった時、レリッシュはワイヨールの視線に気がついた。彼の黒い目と目が合った。
「足は大丈夫?」
「……やっぱりワイヨールにはわかるんですね」
 レリッシュは苦笑した。街の靴店で今日買って履いたばかりの白く光る靴は、まだレリッシュに馴染んでおらず、足の指が当たり、踵が痛むのを、ワイヨールは気づいたのだった。そりゃね、とワイヨールは言う。
「いつも迷宮で一緒に歩くもの。足音の違いくらいはわかるさ。無理しないで――おーいギノ、もう少しゆっくり歩いてくれよ」
 声を上げたワイヨールに、反応したのはしかしギノロットではなかった。背中越しに彼らを見やり、どこか恨みがましそうにしたのは、くしゃくしゃ髪のブレロである。
「何だよ、二人で何の内緒話だよ。ずるい、俺も混ぜろよ。ムーブさせろよ」
 ギノロットの腕を振り払い、レリッシュとワイヨールの間に無理に割って入るので、レリッシュは苦笑顔で話を向けた。
「ようこそムーブ、ブレロ! ねえ、ブレロ。今日はどうしてそんなにおしゃれなんですか」
「やったねムーブ! だっておじいちゃんがさあ、ちゃんとしないとガミガミ怒るんだもん。怖いんだぞぉう、俺のジイさん」
「そんなに怖い人なんですね。でも、素敵な格好だと思います」
 実際のところレリッシュが見てもワイヨールが見ても、ブレロの装いは悪くなかった。卵の殻を思わせる色のセットアップは嫌味がなく、それどころかレリッシュには好ましく見えた。銀の稲穂団の男性が正装しているところを初めて見たのだった。
「あと、眼鏡の枠がきらきらできれい」
「よく気づいてくれた! これ、俺の兄貴のコレクション。借りたままで来ちゃった、いいだろ。かけてみレリ、かけてみ? ……おお、かわいいな。似合う似合う。かわいいな、なあ何なんだお前、眼鏡だけだぞ。どうしたら眼鏡一つでかわいくなるんだ? そんなにかわいいとレリ、今度は悪いやつに捕まるぞ」
 大喜びで詰め寄るブレロの向こう脛を蹴飛ばしたのは、ギノロットだった。バカタレと一言くれてやり、痛いという抗議を無視して再び襟ぐりを引っ掴む。
「頭悪ィ絡み方してんじゃねーよ。着いたから座って待ってろ」
 言うと、とある小ぢんまりとした店のドアの向こうにブレロを押し込んだ。多くはないが少なくもない客の間を縫って三人は席を見つけた。その隙にギノロットは店主を捕まえ何か話し合って、やがて三人のところへ戻ってくる。
「飯、適当に頼んどいた。何飲む?」
「僕にカラヒージョをください」
「私はビールでいいや」
「わたし、はちみつのお酒がいいです。またあれが飲みたい」
「……妖精ははちみつ! なあ、妖精ははちみつのお酒飲むのか!? 何なんだおい、信じられない!」
「の、飲みます。変ですか」
「いや、かわいい。無茶苦茶にかわいい。さすが妖精、かくあるべしだ! 飲んでくれ何杯でも、どうせ影で俺におごらせとけって言ってるんだろ? わかってるよお兄さんは。だから気にせず飲め、夜道は俺が送っていってってやる」
「きみじゃあ逆に不安だよ。そろそろおとなしくしなさいな――ギノ、お酒よろしく」
「いいや、悪い虫がつくとよくない。俺が責任を持ってしっかりアパートまで送り届けて帰る」
「どう考えても責任果たせないやつが何を言ってるのよ」
 ワイヨールがとうとう鼻で笑ったので、ブレロはむきになった。果たせる果たせないの小競り合いが始まって、困り顔のレリッシュをギノロットが発見してもまだ続いた。呆れたギノロットが溜め息をつきながら、二人をよそに腕を組む。
「ちっと飲んで腹一杯食ったら帰んな。面倒くせーだろ」
 とブレロをしゃくって言うと、レリッシュはいいえと首を振って微笑んだ。
「みんなの見ない顔を見られて、何だか嬉しいから平気です」
「まー、いつもはお前いねーもんな」
 酒を飲むのは夜分が常だが、レリッシュは仲間内でも一回り小さい。スリ目的のハンナに襲われたこともあって、だからこのところ、街での銀の稲穂団は日没前に解散し、必然的にレリッシュを酒場に連れることはなくなっていた。だがレリッシュはとっておきのように、いいんですと答えた。
「その分マドカとは甘いもの食べたりしたので、いいですよ」
 甘いもの、と聞いてギノロットは思わず前のめりになる。それを聞いては黙っていられないのが彼だった。
「それって前みてーな、パフェとか?」
「そうです。フルーツケーキとか。生クリームをたっぷりにしてもらって、チョコレートを飲んだり」
「……いーなー」
 甘党のギノロットはにんまり笑った。甘い物の店はいつも男には不親切な構えをしている。ギノロットはパフェのある店に、どうしても立ち入れないのだった。するとブレロが笑い飛ばして、
「みんなで行けば怖くないじゃん、パフェ。行こうぜ、男三人ぶらりパフェ」
「それはやだ」
「私も嫌だ」
「ならワイヨールの家でスイーツごっこしようぜ。生クリームを作る権利はギノロットにやる」
「わたし、スポンジケーキ焼いてみたい!」
「焼いていい、焼きたいだけ焼け」
「待ちなさいよ。人の家を勝手に何言ってるの?」
「グレープフルーツジュースも欲しい」
「んじゃギノが絞っていい、死ぬ気で絞れ」
「人の話を聞けよ、きみら」
「あとイチゴ大量に食いてー。プリンも……生クリーム盛りまくってキャラメルかける!」
「何だギノ、お前そんなにスイーツしたいのか」
 ずっと目を輝かせているギノロットに、ブレロは噴き出した。今日ようやくまともな笑顔を見せたかもしれない。
「やってみてー。クリームにイチゴ乗せまくったら絶対うまい。天国だろ!」
「召されそうだな、お前」
「妖精も食え、生クリームとイチゴのてんこ盛り」
「ギノロットスペシャルか。いいな」
 やがて運ばれてきたのは酒の入った木のジョッキ、ブラウンシチューの鍋が一つ。白い丸パンがカゴに山盛り。各々に温野菜。ギノロット待望の魚は遅れてやってくる予定だった。ギノロットが取り皿に湯気の立つシチューを分けてやり、それから乾杯してみなで酒を二口三口飲み、いよいよ切り出したのがワイヨールだった。
「あのさあ。きみ、誰に向かってボルトストライクしたのさ。危ないじゃないの」
「大丈夫だ、親父のオオヤマネコの絵だよ」
「……なんだ、絵か」
 大げさな話が多少は小さかったので、ギノロットは鼻を鳴らした。オオヤマネコといえば深霧ノ幽谷でよく見た、凶暴なネコ科の魔物で、鋭い爪と牙に苦戦させられた記憶も新しい。ブレロが続ける。
「ボルトストライクな、このごろ使ってないからなまっただろうと思っててな。パチン程度かと思ったのにバチコーンてなって部屋中ビカー光ってさあ。目ェチカチカしてまぶしいのまぶしくねえのって。兄貴もドン引きよ」
 ブレロはけらけら笑ったが、ギノロットのみならず他の二人も顔を引き攣らせた。魔物に食らわせて殺すための技を、何だと思っているのだろう。ワイヨールが肩をすくめ、レリッシュは口元を押さえる。
「金のブタちゃんだったから、さぞかしよーく電気が通ったでしょうよ。呆れた」
「ううん……人相手じゃないから油断したな」
「元気を出して。街で撃ってはいけない、覚えましょうね」
「そうだなレリ、ありがとう慰めてくれて」
 ブレロがレリッシュの手を取って拝むので、ギノロットは釘を刺す。
「お前、甘やかしたって後で知らねーぞ。いじめられんぞ」
「だって……どうしてそんなことになったのか、きちんと聞きたいので」
 うぐっ。
 レリッシュの一言は見事な一射となり、ブレロはついに言葉に詰まった。視線を泳がせ取り乱し、散々出てきた戯言が嘘みたいに黙りこくり、握った両手もこそこそ戻る。レリッシュの両手は膝の上に収まった。
「ナイススナイプ」
「グレートスナイプ」
「ちゃんと教えてください、ブレロ」
 しかし彼は、こちらと目を合わせないまま、なかなか言い出そうとしない。どうやら、できるならどこまででものらりくらり逃げる算段なのが何となく明らかになって、煙に巻かれず黙っているのが最上だと三人は目配せしあった。
 ギノロットたちは黙々とシチューを口に運んでちびちび酒を飲んだ。ブレロがやたらに粘るので、魚の香草蒸しが届いても、まだ異様な沈黙は続いた。器用なワイヨールがフォークを使って骨を取り除き、空いた皿に投げ捨て、すっかり白身だけになった魚は仕上げにレモンを振りかけられ、付け合わせのパプリカやタマネギとともに分けられた。「うまい」とか「柔らかい」とかいった三人の無難な感想と咀嚼音だけが流れていく。
 やがてずずず、と酒をすすったブレロは決心がついたらしかった。実は……と、かいつまんで事と次第を話してみせて、
「迂闊な俺は話の流れでキレたうえに、自分のことを銀の稲穂団のブレロだとゲロった。で、敗走して親父に八つ当たりして今に至るわけ」
 ご質問があれば承ります――ずびびと言わせて酒を飲んだ。飲み干した。向き直ると、表情が死んでいた。
「頼んでくる。しばしご歓談ください」
 今にも転がっていきそうな足取りで、ブレロはカップをぶら下げカウンターを目指す。
 三人はよれた酔っぱらいの背中をしばし見つめていたが、
「……俺の思ったこと聞いてほしい」
 腕組みするギノロットが口火を切って、二人は続きを促し頷いた。
「えっと、別に責める気はねーし、なんかたぶん、あいつはすげー頑張った」
「寛容だなギノは」
「でもえっと、爺さんどーしてそんな怖えーの? 何ビビってんだ」
「それはアレ、進学するときに大目玉食らったって。よっぽど言われたんだろうねえ。トラウマなんでしょ、もはや」
「んでも今、フォートレスなれてんだろ?」
「まあそうね」
「金の力で何とかしちまえんだよな? 変だろ、今日だって家から出てきてんじゃん。本気ならふん縛っちまえばいーのに……。だよな?」
 三人が首をひねっていると、ブレロが酒を飲みつつカウンターから戻ってきた。多少はマシな足取りだが、顔つきは相変わらず淀んでいる――レリッシュがギノロットを覗き込み、ギノロットは頷いた。
「それ何」
「これビールとジンジャーエール割ってもらったやつ。……なあギノ、いつかでいいから南洋に連れて行けよ。旅に出ようぜみんなで」
「連れてけるほど詳しかねーよ」
「いいな! 逆に冒険っぽいじゃねえか、好都合だ! 暑いんだろうなー! ジメッとしてるだろうなー! 海で日焼けするほど遊ぶぞ! ――妖精ちゃんには素敵な水着を選んであげよう。前のはちっともかわいくなかった。お兄さんたちはつまらない! 俺がスレンダーな君にぴったりな水着を必ず探し出すからな!」
 それからもギノロットはずっとタイミングを図っていたが、何をもコントロールする気がないブレロは、どうしても止められない。延々と続くブレロの水着談義に、うるせーいい加減にしろ、と頭をはたいて、やがてどうしようもないと言いたげに首を振った。ワイヨールは空を仰ぎ、レリッシュはしゅんと肩を落としてしまった。