帝国の皇子と世界樹の巫女

「そなたがウロビトの巫女――世界樹の『心』か」
「あなたは……?」
 異国の装束に身を包んだそれは、蚊の鳴くような声を出した。手指を絡めて縮こまる不安を和らげようと、彼はゆるりと話しかける。
「余は皇子バルドゥール。帝国が主アルフォズルの代理人である。巫女よ、くつろがれるいい」
 バルドゥールは不思議な心地だった。帝国各地に残された事物から、『世界樹の巨人』が呼び名通り四肢持つものとはうかがえても、その部品に人間が組み込まれているとは知る由もなかったのだ。有機的なパーツ――例えば脳や神経のようなものを想像していた彼にとって、人間のかたちをしているというのは実に意外だった。巨人が機能停止した混乱期の記録は、極端に少ない。
『心』に向かって、バルドゥールは鷹揚に微笑んだ。
「そして、よくぞこの地へ戻ってきた。そなたはあるべき地へ返ってきたのだ。まったく以って喜ばしきこと。これで我らは救われよう」
「どういうこと? 何を言ってるの? わたしの家は深霧ノ幽谷の里だよ。ワールウィンドに力を貸してって言われて、でもわたし……脅されて……」
「騎士ローゲルの誤解については詫びねばならぬ。何せかの騎士は、十年もの間席を空けていた。その間に改められた事実もあるのだ」
「……」
 騎士ローゲルの報告通り、見る限りはまったく人間そのものに思える。『心』は疑り深く眉を寄せ、口を閉ざしたが、しかしバルドゥールにはさしたる問題ではない。
 この『心』がいかなる形をし、いかなる言葉を話そうと、国家の望みは変わらない。このものは『世界樹の巨人』の欠くべからざる部品の一。巨人へ命ずる『冠』を戴く者、すなわち皇子バルドゥールが、再起ただそれのみを望むれば、皇帝と臣民の悲願は叶えられる。
「まずは長旅で疲れたであろう。よく休むがよい。我らは明日出立する。余に出遅れぬようにせよ」
「――わたしを騙したのね」
 間髪入れず『心』が口を開いたので、皇子の返す踵は半ばで止まった。疑念深き目がバルドゥールを射貫こうと、きっと吊り上がっている。
「どうしてこんなことするの? わたしを帰して。深霧ノ幽谷の里へ!」
「言うたであろう。この地こそそなたを真に必要とする場所。皇帝アルフォズルの治めるこの帝国だ。そしてそなたは世界樹の『心』――何ゆえに生を受けたものか、今一度とくと考え直すがよかろう」
「わたしはウロビトのみんなに育ててもらったの。人間のわたしを、とっても大事にしてもらって……世界樹に戻るためなんかじゃない!」
「相済まぬが、論ずる時は持ち合わせてはおらぬ。不自由があればその女官らに言うがよい。――明日までに頭を冷やしておくのだな」
 頑是なきものに語るいとまはない。皇子は今度こそ踵を返し、部屋を出た。『心』はまだ何かをわめいていたが、従者らに取り押さえられ、追ってくることはなかった。
 今さら揺らぐような矮小な決意など、バルドゥールは持ってはいない。
 あれが例え本物の人間であろうと、なかろうと。首に縄しても連れてゆき、あの『心』を世界樹に組み込む。そして国土の豊かなるを取り戻し、憐れな臣民らに安寧を与え、世紀をまたいだ悲嘆を、苦痛を、索漠を除いてやらねばならぬのだ――皇子バルドゥールの意志は固い。