騎士ブレロの個人的事情

 ブレロには母校というものがあった。彼が正しく城塞騎士の資格を得た、タルシスでは名の知れた騎士学校である。図書館や古書店や喫茶店と酒場が密集し、時を問わず学生が往来して、街の一角を文教地区にしている。
 幼児のころから過ごしていた学校の、建学記念日であるこの日ばかりは、ブレロはぷらぷらした冒険者の面でいるわけにはいかなかった。なのでセフリムの宿ではなく実家できちんと身奇麗に正装してから、式典に参加するため母校を訪れていた。冒険に付き合ってくれる、城塞騎士の聖なる光を宿す篭手も、黒い塗りの箱の中にしっかりと納め、麻布で包んで持ってきている。絹で包む者が多いが、ブレロには麻のざらつく手触りが好みと気分に合っていた。
 学校には剣の科、槍の科、砲の科、……といくつもあるが、ブレロの古巣はやや奥まった位置にあって、門から行って戻るだけで犬の散歩程度には時間がかかる。門をくぐると耳に遠く、学生どもが訓練に明け暮れる剣戟が聞こえた――ははは頑張れ、そこは俺がもう通り過ぎた道だぜ。
 儀式の支度で忙しなく人が出入りする聖堂を横目に、通い慣れた教官室に向かったら、部屋の中はすでにごった返していた。男も女も子供連れもあり、誰も学生だったときと同じように教官と簡易の黒板を向いて半円になっていたのだった。
 何人もの教え子に取り巻かれていた教官殿だが、こういうとき背が高いと得なもので、戸口にただ立っているだけで、人より頭一つ大きいブレロの姿を認めた。
「来たなドラード! 変わり者め」
「教官。ご壮健で何よりです」
「うむ」
 教官殿の破顔一笑に教え子たちはみな振り向いて、ブレロは会釈する。実の名で呼び捨てられるのは久々の感覚だった。
 教官殿はその場の打ち切りを宣言された。というのもブレロは教官殿の求めに応じて訪れたからだ。実家に教官殿の手紙が届いたのは、先週のことである。

 別室待機を命じられ、椅子から机の木目を眺めていたブレロは、教官殿と一緒に部屋に現れた女学生に気がついた。
 教官殿はブレロが偽名で冒険者をしていることを知っておられる。何しろ半年前まで士官になれだのならぬだののやり取りを散々繰り返した中で、自分がどうして冒険者になるのかとかいったつまらぬ話はすべて教官殿もご存知なのであった。かつてブレロにとっては説得すべき父親みたいなものが教官殿で、それでそういう『第二の父』の手紙の中に書かれていたのが、この女学生のことなのだが、
「冒険者になりたいっていう変わり者志望が、君か」
「はい! エリゼ・フォンクです。はじめまして先輩」
 野性味と華のある笑顔で彼女は敬礼した。まさかの冒険者志望を恩師に紹介されるとは思ってもみなかったブレロである。
 右腕に備えられた籠手の聖なる輝きを見れば、彼女もまた城塞騎士のようだが、真に叙勲を得られるのは伝統に従って卒業と同時である。だからその籠手はまだ彼女の名を彫り入れてはおらず、通称『仮免』だ。しかし仮免とはいえ、なるほど体を動かすのが得意そうな表情をするし、制服を着た体格もそういう雰囲気だ。この学校のこの科にはよくいる女子である。
 教官殿に促され、仮免騎士エリゼ・フォンクは話し始めた。彼女が冒険者になりたい理由、それは端的に言えば金銭であった。騎士学校は何かと物要りだ。学校へ納める学費から教本から装備から遠征から飲み代から後輩どもへの経費から何まで、だんだん頭痛がしてくるほどに……だからそういう工面を迷宮で賄おうとする者は、実はぼつぼついた。タルシスの冒険者に若者が多いのは、学生が混じっているせいでもある。
「しかしなあ……」
 迷宮は危険な場所だ。しかも戦場や内乱とかいった危険とは違う、騎士の習いとは異なる所だ。フォートレスとしてやっていけるとはいえ、学生が時間を過ごすのはいかがなものかと、かねてよりブレロは考えていた。なので学生の時分であったころ、いたく興味を持ってはいても、彼は迷宮に赴くことはなかった。
 それは両親への敬意のために他ならない。両親はブレロが将来をどう考えているのか知ってなお、ブレロの出資者であることをやめようとはしなかった。紛れもない両親の愛と庇護を、下手をすれば命そのものを、学生であるうちに迷宮で投げ出すわけにはいかなかった。
 が、教官殿は言うのである。実地に駆り出される騎士はほんの一握りであって、新たなる地を北に見出してからは、今や迷宮に向かおうとする城塞騎士はその志望の一角を占めていると。就職にも若干の責任を持つ教官殿は渋い顔をされる。何しろ、
「お前みたいな若い叙勲の冒険者どもが、そこそこ成功したせいであろうが」
 そこそこ成功している若い叙勲冒険者のブレロは、ぎくりとした。
 いや、しかしだ。ブレロが学生のころにはもう、城塞騎士はフォートレスとして活躍できることがわかっていたのだ。そんな時期からフォートレスはみな右腕に聖なる籠手を用いている。と言い訳すると教官殿は、ますます呆れ、眉をそびやかして溜め息をつかれた。
「今は冒険者が谷を超えるわ異人種を見つけるわ、『双牙武典』を取ってきたわと、街中大騒ぎだ。お前も冒険者なら聞いただろう」
 ……。
 ……。
 ……申し訳ございません教官殿!
 教官殿は知らぬでありましょうが、つまりその冒険者とはみんなみんな俺なのです! ――とおさおさ言えないで、ブレロはなるべく目を逸らした。
 しかしである。城塞騎士は集団行動を求められているし、そのような教育を与えられる。つまり徒党専門だ。徒党の挙げ句に盾だの鎚だの皆で持ち出し、味方の拠点を増やしつつ、敵の拠点を打ち崩すのが専門だ。だが迷宮のフォートレスはそうではない。たった一人で仲間四人の砦をやらなくてはならぬ危険な仕事だ。
 さらに言えば、挙句の果てには、
「自分は今、踊りの稽古で忙しいフォートレスでして……」
「……踊り? 踊りって何の?」
「ドラード、趣味の話は聞いておらん。後にせよ」
「件の『双牙武典』で状況が一切変わったんです。趣味ではなくて本気ですよ」
 こんなこともあろうかと籠手の箱に入れておいたものがある。双牙武典の件以来、ブレロが使い始めた踊り子の鈴だ。それが箱から机の上に滑り出され、覆いの布を払われて小さな一房の葡萄のごとき鈴が、シャランと音を立てたとき、教官殿もエリゼも目を剥いた。よりにもよって誇り高き輝きを宿す聖なる籠手と一緒の箱から出てきたのだから!
 もっとも、ブレロとしては単に荷物をまとめたかっただけである。入れてみればちょうどぴったり収まった。ラッキー。
 さて、冒険者のうちでも目を引く職業に、ダンサーというのがいた。嘘のような本当の話で、彼らの舞は数々の奇跡を起こす。毒を癒やせば傷をも塞ぐ。一打の威力を高めたかと思えば狂撃から身を守り、反撃の隙さえ作り出す。ダンサーというのはなかなかその有用性において冒険者には注目の的なのだと、ブレロは懇切丁寧に解説した。
 が、向かいに座る彼らは訝しげに顔を見合わせた。冒険者以外には素っ頓狂であろう。何しろブレロにもまだ素っ頓狂であり、ギノロットにも話してみたら、奴は鼻で笑った。あいつに笑われると妙に腹が立つ。チッ。見てろ。あとで吠え面かくなよ。必ずリジェネワルツの餌食にしてやる。
 それはさておき、元々彼らダンサーの身の軽さは冒険者の間では評判であり、双牙武典が明らかになった数日後には、突然鎧のままに踊りを強要されたフォートレスもいたとかいう恐るべき噂も界隈では飛び交い、とかくフォートレスとダンサーを結びつける向きが強いのは確かであって、そういう冒険者たちの冗談半分のような努力がなんと見事に結実し、秀でた防御技能と鮮やかな体捌きが組み合わさって、人知を超えた魂の力を発揮して仲間を護る――これこそが通称『フォトダン』であった。双牙武典という、力を体ではなく魂に宿すとかいうイクサビトの秘技がもたらした、迷宮の非常識だ。
「つまり、本気だと?」
「繰り返しますが、くれぐれも本気です……例えば自分はワルツなど」
 真面目くさった顔で何が、ワルツなど、だよ――ブレロは自分で恥ずかしかった。
「先輩。この鈴、見てもいいですか?」
「どうぞ、遠慮なく」
 エリゼの前に鈴をやると、チリリ、とかすかな音が鳴った。
 迷宮向けに頑丈な作りなので、案外重たく、強く鳴らすのに難儀する鈴だ。ぱっと見たところは何の変哲もない鈴であるが、それは聖なる籠手と似たようなもので、普通なのは見た目だけだ。ただ足首につけて、リズムを鳴らす、するとすべての奇跡が始まる!
 ……始まるわけがないだろうよ普通。
 言うまでもなくどうかしている。冒険者でも笑える話なのに、冒険者以外には尚さら理解しがたいに決まっている。しかし迷宮とはそういった場所であった。迷宮に数多いる踊る冒険者たちが紛うことなきその証明だ。彼らは全員本気で踊る。
「そういうことでいいなら、仲間に相談してみるよ。俺一人で決めることじゃあないからな」
 エリゼ・フォンクは鈴を見つめていた。
 この使い込んだ傷を見ても信じてはもらえないだろう。まともな城塞騎士が聞いたら嘲笑しようし、人間相手の戦場にそんなものが必要だとは、ブレロにも思えない。踊る騎士がいたら士気をくじくことは想像に難くなかった。冒険者だから許される暴挙である。
 後輩は直面した非常識にちょっぴり固い笑顔になっていたが、笑わぬこちらの顔を見て、教官殿の引きつった口元を見て、決意して「よろしくお願いします」と強く頷き、恐るべきことにこう続けた。
「新しい世界が開けそう、面白そうじゃないですか。私にも踊らせてください!」
 ――馬鹿者っそこは踊らねえよ!
 彼女のニコニコとした表情は、深く考えもせず、とりあえず試してみたらいいよね、という『バカ担当』という言葉がぴったりに思われた……すなわちブレロと同類ということだ! 教官殿はそういったことも織り込み済みの上で彼に打診をかけたのだ、同類ならば断りにくいと踏んで……こんちくしょう足元を見たなその通りです教官殿さすがおわかりです。
 そして予期していた質問がついに彼女の口から飛び出し、ブレロは思わず知らず溜め息をついた。
「で、先輩のいるのは何というギルドなんですか?」
「……『銀の稲穂団』。興味があるなら調べるといい」
 若干口ごもりながらも、隠すわけにもいかない名前を口にした。すると教官殿の目の色が変わり、息を呑む気配があった。谷を超え異人種に出会い双牙武典を手にした『銀の稲穂団』と、目の前の教え子が繋がった瞬間であった。
 エリゼの目を見ながら念を押す。
「俺が冒険者だというのは内密にな。もう知っているかもしれんが、冒険と家は離しておきたい」
 偽名で活動したいブレロは叙勲者ドラードだと明らかになりたくなかったが、この場で言わないわけにもいかない。口元に指を当てるブレロの神妙に、エリゼ・フォンクは心得顔をした……命懸けの迷宮で踊る息子がいると知られたくないのだろう、とかそんな具合の勘違いをしてくれれば幸いである。仲間が増えるのにやぶさかでないが、名前と家に関わるあたりを話すのは、何かと気が滅入った。
 彼らとはそこで別れ、やや時間には早いが聖堂へと向かった。鈴なき靴を鳴らしながら廊下を歩くブレロは、自分と冒険者と家の間に横たわる溝に、未だ慣れない感覚を味わっていた。

 翌日、何やかんやで仲間が一人増えそうだという話をしたら、レリッシュとハンナは喜んだ。まるで友達が増える感覚でニコニコしたが、一方でワイヨールは疑問を呈する。
 もちろんフォートレスが二人も必要なのかであるが、それは先だってマドカがリタイアを宣言したことを考えるに、利点も多い。ましてフォートレスは怪我が多い。ブレロにいつ何があって銀の稲穂団を離れるかはわからない。だからバックアップのメンバーとしても、いてくれればありがたかった。それを言うとワイヨールは、なるほどと聞き入れた。
 引退を願い出てからというもの、メディック・マドカがギルドに顔を出す機会は減っていた。銀の稲穂団の誰も、ここ数日マドカの顔を見ていない。それは新たに迎え入れたウロビトの少女モモに、知識をみっちり詰め込んでいるためではあるのだが、ブレロはどうにもすっきりしない。朗らかに話すマドカがいないと冒険者ギルドの会議室は少し寒いような気がしたし、銀の稲穂団は締まらなかった。
 双牙武典を手に入れてからはずっと、サブクラスの習得という大義名分を掲げ、迷宮踏破を二の次にしている。資金の工面とか体がなまるとかの理由で酒場のクエストを請け負うことばかり多くなり、半数が世界樹に迫りたい者であるはずの銀の稲穂団は、目的に反して、停滞していた。
 メディック・マドカがいないと、迷宮から足が遠のく。
 それでも求めがあれば準備万端整えて、約束の日にギルドに現れ、引退の件などおくびにも出さず、メディックの職分を充分に果たすマドカは、さすが医の道を志す者である。銀の稲穂団は一層彼女を崇め奉った。やはりメディック様々、マドカ様々だ。
 怪我した一同を叱る機会は明らかに少なくなった。マドカは不満げな顔をする程度で、いつも通り丁寧に手当をしてくれる。なので頻繁に怪我を作る前衛ギノロットは拍子抜けしており、慎重になりながら慣れない刀を振るっていた。時には「本当にいいのか?」と言いたそうな顔でブレロを振り向き、オーケーの頷きを得てから切りかかるという子供みたいな事態も起きる。マドカという女性は銀の稲穂団の母性で、叱ることさえ母性の一端なのに、そういうギクシャクした空気のためもあって、モノノフの業を身に着けようとするギノロットは、どこか精彩を欠くのだった。次回はついにマドカの許可が下りたので、金剛獣ノ岩窟へモモを連れて出かける予定だが、やはりどこか怖かった。
 マドカの不在によって空いた穴を恨めしく思いながら、ブレロは後輩エリゼ・フォンクを迎えることを確認した。教官殿に手紙を書いて伝えようと、用意した便箋だの封筒だのを出そうとしたときである。あの、とレリッシュが遠慮がちに手を挙げる。うん? ブレロは手元から目線を移した。
「どうかしたか?」
「実はもう一人、ギルドに入りたいっていう子がいて」
「また女子かよ」
 定位置――すなわち窓際の一人がけソファ、日差しが暖かくて気持ちのよいギノロットの気に入りの特等席――に戻ろうと腰を浮かしたギノロットが、面倒くさそうな声で聞いた。レリッシュはついついしゅんとなる。
「ダメでしょうか」
「いいじゃない、明るくなって」
「よなあ。俺もむさ苦しいより断然いい」
 銀の稲穂団の女子化が嫌なのはギノロットだけらしいが、しかし銀の稲穂団は基本的に多数決である。数の力には降参するのが決まりだ。ギノロットは諦めて再びテーブルに着いて、「どんなやつなの」と聞いた。不満げな顔をしつつも、ギノロットは案外、話の通じない男ではなかった。
「街で印術のお仕事をしてるんです。話を聞いて迷宮の印術に興味が出たって」
「いいじゃないか」
「働けてるなら迷宮の印術はそんなに大変じゃないよ、きっと」
 ギノロットだけが黙秘していたが、ここでハンナが空気を読まなかった。大体ほぼ丸裸の服装が空気を読んでいない。仲間になって間もないのに自分を突き通す彼女は、実にナイトシーカーだ。
「ねーねーギノさん、不満あるならぶっちゃけちゃったらイイんじゃん?」
「やだよ。俺が我が侭みてーだろ」
「ンなこと言っても、それじゃウチも邪魔みたいじゃん? 流れ的に? 話してくれたほうがスッキリすんだけど」
 ご説はごもっとも。銀の稲穂団女子化の先駆けはハンナであり、初心者ナイトシーカー向けの講習後に戻った会議室で、レリッシュと復習をする姿は、復習の内容が物騒なだけの仲良しの女の子たちだ。一理ある、とブレロがギノロットを促すと、彼は渋々口にした。
「だって……なんか、遊ぶために迷宮行きてーんじゃねーんだもん。世界樹の楽園に行きてーんだよ。だから友達ギルドとかんなっても困る」
 すると、なるほどねとワイヨールが相槌を打った。
「そういうことなら私もだな。伝説の真偽を知りたいんだもの」
「わたしも、楽園探したい。お友達が増えるのは嬉しいですが」
「ほら。ねー、やっぱ言ってよかったっしょ? ギノさんだけじゃなかったじゃん? ウチだってオカネのためだもんね。ちなリーダーは?」
「俺か。……俺は銀の稲穂団をやるために冒険者やってるからなあ」
 そんな高邁な目標など持っているわけがない。銀の稲穂団で最もフンワリ冒険者をやる男、それがフォートレス・ブレロである。とはいえ、銀の稲穂団のリーダーとしては別の本音があるのも本当で、
「目標に向かってギスギスするのもどうかと思うからなあ。仲良くを基本にやりたいところだろ。だって続けられるのが一番大切だし」
「まー……最後はそこな」
 渋々のギノロットも致し方なしの表情になり、片膝を立てて顎を乗せた。何かを諦めたらしい。
 ギルドという単位を続けられずに人間関係の問題を起こして解散、分裂、崩壊、仲違い、自然消滅、一方的な独立や暖簾分けや本家元祖のいがみ合い、その他諸々あらゆる噂は冒険者ギルドのロビーで立ち話すると目も当てられないほど耳に入る。冒険者御用達の酒場に行けば更にこっぴどい逸話が流れて口にするのもはばかられるが、文才のある冒険者がネタを書いては大衆紙に売るくらいに、山とあった。
 銀の稲穂団は実際、数多ある星屑みたいな儚いギルドになりかかっている現状がある。このまま留まっていても先が長くない。
「じゃさー、やっぱその子入っていいでしょ。ニョッタっていうんだけど。ちょっとキツいとこあるけど、フワッとしてポチャッとしてカワイイんだよ。仲よくできるって」
「カワイイだと」
「ふわぽちゃねえ」
 じゃあとその前後の繋がりを曖昧にしたまま、二人は一切別次元の反応を示した。ブレロは言うに及ばないとして、ワイヨールは自分とは違う燃費のよい印術師に、興味をそそられたのだ。
「いいんじゃない? 二人と友達なら、きっとここでもうまくやれるよ」
 何も言わないギノロットにハンナが目線をくれると、彼は別に興味ないとにべもなかった。
「お前ら何でもかんでもかわいーっつって信用なんねー」
「そんなことない。ニョッタは本当にかわいいです!」
「昨日見かけたとかゆーダンサーとどっちがかわいーんだよ」
「ニョッタのがカワイイよ」
「うんニョッタ!」
「えっ、あの子よりもまだかわいいの?」
「ほら見ろ。お前らのかわいーは安すぎんだよ」
「絶対そんなことない。ニョッタのほうがかわいいです!」
「あっちょっと待ってレリ、昨日のダンサーちゃんはさ、不思議カワイイじゃね?」
「えっ? 不思議かわいい?」
「そそそそ。なんか何者かわかんないけど、ミステリアスかわいかったじゃん? ほんでもさーニョッタは、フワフワ系カワイイじゃね」
「あっ、なるほど。うん、そうです、フワフワのかわいいです。ほんわりな感じ」
「そそそ、カワイイのカテゴリ違うから。別次元だから」
「うん。違うかわいさです! ぎゅっとしたい!」
「そー、ギノさんもギューしてみ? フワフワのトリコだよ絶対」
「全然意味分かんねーし、どーでもいーわ。見た目で選んでるわけじゃねーよ。好きにしな」
 レリッシュとハンナが身振り手振りでかわいさアピールをし始めたので、ギノロットはしまいに呆れて手を振った。この男は何のかんの言うが、最後には女性の言うことに折れるのを、ブレロは知っている。予想通りの結末に、ブレロは含み笑いした。

 ところが、肝心の冒険は一筋縄ではいかなかった。身体が草木と化す『世界樹の呪い』を巫女シウアンが祓い、イクサビトの子供たちが快癒した喜びを共にした途端、状況を一気に不穏にさせたものがある――冒険者ワールウィンドが銀嵐ノ霊峰の障壁を解き、シウアンを次なる大地へ連れ去ったのだ。
 辺境伯の執務室で、居合わせた銀の稲穂団は事の次第を報告し、その間中ブレロはずっと、苦虫を噛み潰した顔のままだった。裏切られ出し抜かれたなどと報告するのが愉快なはずがあろうか。
 ワールウィンドがイクサビトを斬りつけた上、巫女を誘拐したことは、ワールウィンドを先ゆく冒険者として少なからず尊敬していたブレロにとって、ひどく腹立たしく、苛立ちの隠しきれぬ事実だった。
 いかなる理由があったかは知らない。しかし一流の冒険者ワールウィンドを、その一流であるが故にすっかり信じ込んでいた。
 もっとも、ワールウィンドとて冒険者の一人だ。ミッションの受注もしないほど、縛られていない。異国のソードマンの装備を用いているのも、長い間タルシスにいなかったことがあるのだと、小耳に挟んだことがある。
 イクサビトとウロビトの手前、裏切りを働いたのが人間であるというのも、ひどく居住まいの悪い事件だった。幸いにもイクサビトらは、ワールウィンドと銀の稲穂団を混同しなかった。けれど少なくともモモは、恐ろしい思いをしているであろう巫女を思って、青い大きな瞳から、ぽろぽろ涙を零すのだった。
 ブレロはそんな彼女を抱きしめ、慰めるしかできない。
 しかし辺境伯はともかく、ブレロは勝手にワールウィンドを信じていたにすぎない。辺境伯さえ一流と認める、ワールウィンドという冒険者を、勝手な期待と憧れで追っていただけだった。
 辺境伯への報告を終えて退室してからも、ブレロは機嫌が悪かった。自身の長身を忘れて一人足早に進むから、小さなモモが置いていかれて小走りになり、ギノロットに文句を言われた。
 銀の稲穂団の新たなる大地を発見した喜びは薄く、成し遂げた快挙も裏切りの前に霞んで、タルシスに駆け抜ける噂は暗い。新たなる大地『絶界雲上域』では、ついに世界樹の麓に到達したにもかかわらず、タルシスは不安と落胆の影が落ちていた。黒い気球艇を駆る『帝国』なる非友好的な存在のために――。