カイエン

 騙してしまって申し訳なかった――カイエンはかの娘の恋人であった男の墓に手を合わせ、静かに目を閉じる。手向けてやる花も供えてやる酒もなかったが、遠くに聞こえる子供達のはしゃぎ声はきっと充分な弔いになるだろう。あれに免じて許してほしいと、彼は一人苦笑いした。
 青年の墓は粗末だった。子供達だけでこしらえた土饅頭は、主を亡くした寂しい剣が唯一の印だった。いずれはもっとましにしてやるんだと語るのは、新米の父親ディーンである。
「なぁあんた、この人のこと、知っているのか?」
「いや、知らん」
 ディーンは命の恩人のことを知りたそうにしていたが、カイエンのそれは偽りだった。カイエンは死んだ青年のことを充分によく知っている、おそらくは……。何しろ、ペンもろくに持てぬほど傷ついた彼のために、何通もの手紙を代筆してやったのが彼だった。果たしてそれを知らぬと言おうか。しかしそれらが青年の一部に過ぎぬことも知っており、ほんの一時の交流でもってしたり顔をするのは流儀ではなかった。
 青年には勇気と蛮勇の境をまだ知らぬ青さと、恋人を一途に愛する瑞々しさがあった。思うように癒えぬ傷に死の影を見ておののき、だがいつかはモブリズに恩を返そうと希望を持っていた……確かに彼は村に恩を返した。己の命をあがなって、ディーン達モブリズの子らを生かした。
 青年もディーンのように恋をしていた。青年も故郷に帰れば、真っ先に愛しい娘を抱き締めたはずだ。だが茜色に染まる絶望の世界は青年にそれを許さなかった。茜の空の支配者が、一人の若者の未来をかき消したからだ。
 なればこそ例え夢想の中といえど、唐突に奪われた家族に出会えたこと、あまつさえ深い心の傷を癒されたことは、この乱世にどれほど恵まれた幸運であったろう。
 今や世界は美しかった。傍らの木は眩しい若葉を湛えて小鳥の羽を休めさせている。時折吹く風がそのまろい香りをさらい、カイエンの鷲鼻をくすぐった。無邪気な鳥たちのさやけき歌声は、戦でささくれた心を潤してくれる。
 平和だった。元凶が取り払われた世界は胸がたまらなくなるほど美しく、この淀みない世界と、昨日までのうじゃじゃけた世界とが、どうして同じだというのだろう? 亡くしたものは絶対に帰ってはこない。この鮮やかさに喜び微笑むことを許されない——生と死は、何もかもを無情に隔てていってしまう!
 怒濤の悲しみがカイエンの胸中に轟いた。頬は乾いていても彼の心には滂沱の涙で溢れ、口元が歪む。笑いの形に。眉間に皺が寄る。去来する悲嘆に。あまりの苦しみに、彼は胸を掻きむしった。
 希望溢れる世界の中に、それを見せたかった人々はもういない。何もかも思い出の彼方に押し流されていってしまう……。
「もう、行こうぜ」
 一方若いディーンは、自分より二回りは年かさの男が静かに嗚咽を漏らすのを、からかうこともできなかった。カイエンの肩を叩き現実に引き戻すのが、その精一杯であった。
 カイエンは応えて、微かに頷いた。せめて亡くした者たちの分も、喜びに浸ろうとして。