セッツァー

「ねえ、本当にこの船、飛ぶの?」
「飛ぶぜ」
 会話は突然に始まり、また続かずに終わった。
 セッツァーは子供にあまり興味がなかった。それは単に子供達の表情や一挙一動の中に、青臭い時分を見出してささやかに懊悩するからであって、どうしても船が見たいとせがんだこの少年が気に入らないとかそういった理由ではない。むしろ少年がファルコンの偉容を畏敬の目で見つめたり、ここに来るまでの彼の足取りもまるで飛ぶかのようで、自尊心が満たされたのは確かだ。
 ただティナの頼みでなかったら、確実に機械室に入れたりなどしなかった。時折仲間の子供らがしたように、自らの魂の一片である船の心臓をあちこち触られまくるのは耐え難かった。例え大人げないと言われても、何かあってからでは、済まない。
 しかし心配は杞憂らしかった。ファルコンの入り口に辿り着いて、ティナと別れた少年は借りてきた猫のように大人しく妙に神妙な面持ちになった。そっちこっちを駆けずり回ったり大声ではしゃいだりすることはなかった。
 少年は機械室の入り口から続く通路を、ゆっくりゆっくり、音を殺すように歩いていた。
 入ってすぐの右手にある配電盤をまじまじと眺めてから、スイッチのおのおのにつけられたラベルを読み囁く。そしてそこから見える風景――窓もなく薄暗く、無造作にぶら下げたいくつかの裸電球だけが映した、無骨な金属体の群れ――を、彼は見る。四方をのたうつ排気管やら鈍く光るバルブやら、圧力計の示す場所やらに魅せられ、あるいは彼の身長ほどもあるボンベ数基に書かれた『ヘリウム』という文字を見つけて、細い首を傾げる。すると彼の荒れた伸びかけの髪が微かに光り……
 セッツァーはふと、彼の体躯がいやにみすぼらしいことに気がついた。
 少年の擦り切れかけた毛のズボン。それを通してもはっきりと分かる年齢不相応な肉付きの悪さは、どうにも隠し切れるものではなく、まるで棒きれを思い起こさせた。嫌々少年を連れてきたセッツァーは、無関心を決め込んでいたから、すぐには分からなかったのだ。
 なるほど、それでこんなに大人しいんだな――セッツァーは内心で舌打ちした。
 彼はおそらく、環境に適応したのだ。親兄弟と馴染みの近所住まいをいちどきに亡くし、今にも崩れ落ちそうなあばら屋に棲み着きながら、大人抜きで生きていかねばならない苦境のうちに幼い活力を挫かれして。
 順応できない者に待つのは死に神だけだと彼は知ったのだ。そうやって希望を折られ続けた幼い子供の瞳は、セッツァーが飛空艇を見せるのを好ましくないのだと鋭く感づいて、大人しく眺めるに留めているのか。
 ……若い身空で何を諦めやがって、畜生!
 酒場でしょぼくれていた自分を思い出して、セッツァーの腹の底はかっと煮えたぎる。お前にとってかけがえのないものなんて、この世にいっぱいあるんだ。この俺がけちなオッサンだと思ったら、大間違いだぞ。
「おい、」
 そんなことを考えながら一声かけたら、少年の肩はぎくりと跳ね上がった。意外とドスが利いてしまったらしい。怯えの混じる光を投げかけられてセッツァーはばつ悪く頭を掻きつつ、とにかく、少年が期待しているであろうことを口にした。
「ティナよりは速くないが、気分は味わえるぜ?」
「ほ……本当っ!?」
 セッツァーは勘のいい子供は嫌いではなかった。ついてきな、と踵を返して背中越しについてくる足音の、うきうきと軽い小走りのリズムに、小気味よい満足を得る。多少はうちの子供らを見習って、疲れ果てるまで大騒ぎするがいいさ……そんなことを思いながら、操舵輪を目指して大股に機械室を出た。