don't cry

 セリスはティーケトルを傾けた。白鳥のように緩い形の首を持つケトルからは熱々に沸いたお湯が流れ出て、それをポットが受け止める。一瞬遅れて、優雅な薔薇の香り。乾燥の中に封じ込めたバラの花びらの香りは、温かな湯気とともに目を覚ました。
「……ねえ、セリス」
 一連の様子をまじまじと眺めていたティナは、おずおずとセリスに話しかける。
「なに?」
 セリスは、静かに返事をした。その静かな返答が、ティナには戸惑いの始まりにしかならない。
 ナルシェで別れ、サマサで再会したとき、セリスはもうティナと会った頃の彼女ではなかったのだった。あの頃の印象とあまりにかけ離れていて、セリスの少し愁いを帯びた横顔を見ると、ティナはどぎまぎする。
 あの凛々しい瞳の、口元を固く結んだ将軍の彼女はどこへ行ってしまったのだろう。
「そんなにお茶が珍しい?」
 まつげをしばたたいて、セリスは微笑む。ほんの薄い微笑だったけれど。ティナはその勘違いに、胸の内で感謝した。まさかセリスに見とれていただなんて言えない。観察していたって、答えが出るはずもないのだ。
「とてもいい匂いがするのね。それは何?」
「——シドがくれたの。シドのこと、知っている?」
「帝国との会食で会ったわ。魔導研究所の……」
「そう。シドの温室で育てたバラの花びらを摘んで、作ってくれたの。昔から、シドは私にお茶を飲ませてくれたわ。疲れて一人で部屋にこもっていたときや、戦で街を焼いて帰ってきたときに」
 静かな言葉の中には、確かな哀しみの色が混じっている。こんなにぬくもりの深い、華やかな香りのする空気の中に、セリスの哀しみはそっと静かに溶け込んだ。この部屋はとても狭くて、小さなシンクと四人がけの食卓と、採光窓。気がつけばバラの香りでむせ返ってしまいそうで、ティナの胸は一息でいっぱいになってしまう。
「……疲れているの? セリス?」
「いいえ、怖いの。私は魔大陸を——皇帝とケフカを、止められなかったから」
 一緒に飲みましょう。セリスはすっかり温まったティーカップから、お湯をシンクに流し捨てる。両手に持ったカップを傾けるセリスの背中は長い金髪で覆われていた。でもティナには、今その背中が止めどなく涙を流している気がして、たまらなくなる。窓からの光がステンレスに乱反射して、セリスは溶けてしまいそう。

 ——泣かないで、セリス。
 声をかけたい桃色の唇は、しかし主のいうことを聞かずになかなか開かないでいて、そうこうしているうちにセリスは振り向き、微笑んだ。笑顔がこんなに胸に突き刺さるということを、ティナは知らなかった。