tender

 目が覚めても、ぼんやりした。厚手のカーテンをも突き抜ける砂漠の日差しのせいで横たわっているだけでまぶしく、ついに私は目を開けざるを得ない。砂漠の太陽は厳格だ。朝には規律正しく目を覚ますことを守らせる。体を起こすと重心が動いて、腰がベッドに少し沈んだ。
 フィガロ城の客間は何度見ても見慣れない。青い色が大切に使われた調度品は、何とも目に鮮やかでオリエンタルだ。その青が砂漠では貴重な『水』を意味するのだと聞くと、そうか私は砂漠の国にやってきたのだ、という気持ちが一層する。
 カーテンの隙間をめくって覗いた空は快晴。雲一つなく蒼穹で美しい。ついこの間まで塵と埃で赤く染まっていたのは、悪い夢だったかのよう——そう、私たちはとうとうケフカを滅ぼしてしまった。幻獣も魔法も嘘かのように消え果てて、世界には平穏が戻った。
 目線を移すと、ほとんど襤褸のようになってしまった私の衣服が椅子の背もたれにかかっている。戦の埃や血や汗にまみれて、擦れて破れた跡の生々しいチュニックとパンツ。出かける前は美しい山吹色だったのが、今は見る影もなくくすんでしまった。
 椅子には剣も立てかけてある。長いこと私の牙になってくれた剣は遺跡の奥で見つけたものだったけれど、カイエンによれば名工の一品、ストラゴスによれば魔法の細工がされているらしい。道理で何度となく筋骨を打ち断ち、敵の魔法も封じ込めた。いつ壊れるかと始めは心配したものだけど、最後のころは信じられないほど荒々しい使い方もした。すっかり手に馴染んだ剣の鞘は、へこみや傷で年季の入った風情を持っている。
 ——そばに寄って剣を抜き、ぎょっとした。血糊も拭われていない赤い刀身が出てきたからだ。
 手入れもせずに眠りこけていたのかと思うと、何とも情けなくなった。何年戦士を続けているのだろう。いくら名工の魔剣であっても、刀身を痛めてしまえば使い物にならなくなる。ああ、手入れの布はどこへやっただろう。まだ道具袋の中にあるだろうか? 私は剣を握ったまま慌ただしく袋をひっくり返す。ざらざらといろんな物が雪崩れてきて、布きれはポーションの下敷きになって出てきた。それを手に取った瞬間。
「——セリス、まだ寝てるのか?」
 ごんごん、と重たいノックの後に、耳慣れた声。ロックだ。起こしに来てくれたらしい。
「起きてるわ! 今……」
 剣の手入れをするところ。
 ……と言おうとして、『そうじゃない』と思い直した。困って無闇にきょろきょろすると、視界の隅に山吹色の襤褸が入る。
「——着るものがないんだけど、どうしよう?」
「言うと思った! ちょうど持ってきたんだ、エドガーが貸してくれるって」
 みんなも目が覚めてから気がついたんだ、と彼は笑い混じりに言った。きっとみんな揃って疲れ切っていたのだろう。無理もない。
「じゃあ、そこに置いて。着てから行くわ」
「ああ。玉座の部屋でみんな待ってるからな。朝飯ができてるぜ」
 んじゃな、と言ったロックの足音が遠のくのをたっぷりと待って、私は樫でできた扉をそっと開けた。誰もいないことを確認して、こっそりとかごを受け取った。かごにはフィガロ風の涼しそうな、麻の衣類が収まっている。広げてみるとそれは淡い水色をしたワンピースで、アクセサリーめいたベルトも転がり出てきた。ああ、上にこのボレロを羽織るのか……ご丁寧に靴まで。必要なものは一式揃っている。何とも用意がいい。
 ワンピースのスカートなんて滅多に着ない私は、恥ずかしくも嬉しい気持ちでそれを眺めた。ほんのささやかなプリーツも、馴れない私はためらってしまう。こんなもの着てもいいのだろうか——オペラのときに感じた興奮が、昨日のことのようによみがえる。ああ、あのときも私は同じように思ったのだ。こんなものを着て可笑しくないだろうか、と。
 傍らに置いた剣を顧みる。血糊で汚れていたはずだ。

 これからはもう、剣は必要ないのかもしれない。剣の手入れをする習慣は捨てていいのかもしれない……私は鞘の傷とへこみに、優しく触れてみた。昨日まではこうして触れれば、体の中に流れ込む魔力を感じられたのに。今はもう何もない。何も感じられない。
 この剣に何かの魔法がかかっているのは、手にした瞬間から知っていた。何の魔法かは知らない。でも私はこの剣と共に幾度も死線を潜り抜けた。触れれば応える感触に、私はある種の戦友のような感情を持っていた。この剣さえあれば何があっても平気だと感じていた。だけれどこうして剣は死んだ。
 剣とは戦の道具。これから何の戦が起こるのだろう。理由は? 意味は? 得られるものは何? ……何も思い浮かばないことが、じんわりと胸に染みる。これは幸せの感情なのだろうか。そして剣のない人生をも考え、……そう、それもしっくり来ない。
 剣のない私に何ができるのだろう。私の生きてきた環境は異常だった。常ならぬところで、常ならぬ生き方をし、今もこうして常ならぬ考え事をしている。当たり前の生活を知らない私ができることは何なのだろうか。私にできることといったら花を育てることと歌うこと、絵本を読んで感動することだけだ。他には何も知らない——。
 そう思うと、急に鼻先が痛くなった。喉がごつごつと、石でも飲まされたかのように硬くなる。私は生きていれば得られる当然のものたちを、ことごとく得られないまま二十年も生きてきたのか。
 私は、本当は不幸だったのだ。

 みっともない起き抜けの姿のまま長いこと考え込んで、私は剣を、城の鍛冶屋に預けることに決めた。綺麗になって返ってきたら、この剣をどこか素敵なところに埋めよう。そうしてまた、存分に泣いたらいい。今はまだ泣くことにも抵抗があるから。